感じたこと

2009年11月 4日 (水)

アディクション(依存症)問題の専門家

 わが師なる勤務先クリニックの院長は、アディクション問題の専門家である。

その師が、よく患者さんに言われること。

「よく、患者さん、特に一家の主婦の方の中に、

「うちのお父さんは、酒ばっかり飲んで嫌だ。」と訴えられる方がいます。

わたしは、そういった患者さんたちには、よく言うのです。

「酒を飲む飲まないは、ご主人の問題です。」。」と。

確かにそうである。

 一方で、わたくしは、こう思う。

もしも、今、一人の”自殺しそうな「人」”が一人いて、その人が”最も愛する「人」”であったとしよう。

夫は、これから、決められた「仕事」に出かける場面であった、としよう。

妻を愛して止まない夫はどうするであろうか?

(そこに至るまでの)諸事情は別にして、”「自殺」が予想される”。けれども、「仕事」に行かなくてはならない。

そういう「場面」だ。

 夫は、妻の実家に電話をかけた。

「もしもし、お岳母さんですか。***さんなんですが、とても元気がなくて、しょげかえっていて、

少し励ましてあげて下さいませんか?」

この「処置」は、果たして間違っているであろうか?

ハッキリ言って、ブッキョウなる<<創価学会>>の主張はおかしい。

 わたくしは、常々思っておりました。

”「学」もナイのに、学会などと付けるのは、お止(や)めなさい。

そうか バカの会 の方が、フサワシイかと思います。

”「学」もナイのに、学会などと付けるのは、お止(や)めなさい。

そうか バカの会 の方が、フサワシイかと思います。

2009年10月28日 (水)

神は偉大なり

31:エレミヤ書 / 25章 31節

その響き地の果てに至る。主は、諸国民と争い

肉なるものをすべて裁き

主に逆らう者を剣に渡される」と

主は言われる。 」  

**( 新共同訳聖書の 旧約聖書 エレミヤ書25:31)

 オレの行くところ、行くところ、うるさく、騒がしくなってしまうことが、

ままある。

が、別にオレが、好き好んでそういう風にしているわけでない。

たとえば、ある”「暴走族」が集まれば、

”「対抗」しようとする”「暴走族」が集まって、騒がしくなるし、

また、ある「暴力団」の集まりがあれば、

”「敵」対関係にある”「暴力団」が集まって騒がしくなるのと一緒。

”「共産党」の「街頭演説」”があれば、

”「右翼」団体”が集まってうるさくなるのと一緒。

オレの行くところ、行くところに、まるで、

”ニオイを嗅ぎつけるが如く”、

”「ユウキ一家」とその仲間たちが”現れて騒がせるのだ。

それは、丁度、

”「万軍の主」の「敵」対勢力”が、

”「万軍の主」が、共に在(あ)る者に

”「対抗」しよう”としているが如くである。

 そういえば、「右翼」と言えば、この間、

千葉で、「??塾」とかいう大規模な、「右翼」団体が、

神奈川からやって来て、大騒ぎになっていた。

国道357(旧14)号線から枝分かれして、

千葉市中央区富士見の(千葉)駅前大通りに至る道の、

変則十字路交差点(そごう千葉店脇)を、

「右翼」の大きな街宣車が数両で「占拠」したために、

同交差点内は、車が立ち往生していた。

折から、わたくしは、老母の手を引いての「買い物帰り」。

交差点の立ち往生の関係で、

そごう千葉店「タクシー」乗り場に、

タクシーは一台も無くなっていた。

千葉駅構内で乗ろうと母の手を引くわたくし、

けれども、母は、なぜか、当該交差点で、タクシーを拾おうとし、

わたくしは、”少々「強引」に”母の手を引き、駅に向かう。

と、その時である。

街宣車の”騒々しい”スピーカから聞いたのは。

(非常に騒々しい中ではあったが)

ハッキリと、

「名ドクターは、ズボン穿くんじゃないヨ!」と。

けれども、”「心の中」で笑いつつ”、

引き続いて老母の手を引いて、

駅に向かい、駅ロータリーのタクシー乗り場から、

その日は、無事にタクシーに乗車して、

実家に到着、実家の前にて、母に、

「良かったネ。あんなのに巻き込まれたら大変だヨ。」

といった。

家の「自室」に入ってから祈った。

「主よ。彼らが誰のことを言っていたか、

わたしには分かっています。

けれども、笑ってしまいます。・・・・・」、と祈った。

 「キレルゾ!」と、傍(そば)に侍(はべ)るヤクザ。

オレが、今更、そんなモン恐れると思うか?

「神」によって、自衛隊習志野駐屯地隊員による、

リンチ「火刑」未遂事件から守られたオレが、

今更、そんなモン恐れると思うか?

むしろ、この間、運転免許センターで、

”更新時「講習」”で見せられた

”交通事故のビデオ”。

千葉県柏市内で起きた、

”泥酔トラックドライバー”による、

「女子高生」致死事件のビデオ(ドキュメント)を

見せながら、

千葉県警の「担当官」が、言っていた。

「この泥酔ドライバーには、「密室の故意」があったとして、

「殺人罪」が適用された。」と。

すなわち、今、トラックを止めなかったならば、

女子高生は”「死」ぬかも知れない”と、知りつつ、

「オレは逃げたい。オレは逃げたい。」の思いが、

「密室の故意」にあたるとして、

”「殺人罪」が適用”されたのだ。

ガラガラと大きなドラム管を転がしながら、

「松本智津夫式マイクロウェーブだ。」と、

自慢げに、

ヤクザどもに見せびらかせた<自衛隊員>。

これが、「松山先生」の「自宅」に運び込まれて行くのを、

”「説明」を聞きつつ眺めていたヤクザ”。

「「連中」」にもまた、

(「密室の故意」による殺人罪)が、”「適用」されるべきであろう”。

平成20年1月4日午前1時、

オオキは、”「楽譜」を相手に”、ノウノウと、

仕立てられた”<政治犯>の処刑計画をのたまわった。

「政治改革、どの位時間かかるんですか?」

「20分ぐらい。」

「***、遥かせてもらったら? 

あんまり、時間を取らせて

ご迷惑をおかけしても・・・・・」

 ケレドモ、オトウサン、

ワタシ ハ ソレデモ 

アナタ ノ 「オジョウサン」ト、

アナタ ノ 「オジョウサン」 ト 

ワタシ ノ アイダ ニ ウマレタ 

3ニン ノ コドモタチ ヲ 

アイシテマス。

マタ、 イエス=キリスト ノ 

ジュウジカ ノ アイ 

ノ ユエ ニ、

「オジョウサン」 ノ 

ゼン カゾク ヲ 

アイスルコト ガ デキマス。

「神」は、それ程にも、

”「偉大」であられる”のです。

         

** (の聖書の御言葉を) 新解訳 では、次のように訳しています。

その騒ぎは地の果てまでも響き渡る。

主が諸国の民と争い、

すべての者をさばき、

悪者どもを剣に渡されるからだ。

2009年9月27日 (日)

蘇我のジャイアンたち

「イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 (聖書)

 今日の昼食会場(JR千葉駅前のあるファミレス)でのことである。

「資格もないのに。」キチガイハポ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンたちがまたぶしつけにのたまう。」

同じ空間で、別のヤツが、「あれだけ人気があるのに。」

後のほうのコメント。オレにとって何の意味もナシ。

前の方のコメントで、後の方は、100%帳消しだ。

「人が、どんなに嫌がっているか分らぬヤツラがいる。」

職場の長で、師である先生は、時々患者さんに、非常に判り易いたとえ話をされる。

その中の一つで、わたくしにも、判り易くて大好きなたとえ話が、ドラエモンファミリーの登場人物を用いたたとえ話である。

よく師がお話しされるのが以下である。

ドラエモンファミリーの主な登場人物。ジャイアン、のびた、静かちゃん。

心理的なところからいう言うと、日本人の内、

ジャイアンタイプが、99%、のびたタイプとしずかちゃんタイプは1%位。」

わたくしなりに、もっと判り易く説明しよう。

上記「「資格」もねェーのに。」と異口同音的に「あんなに人気があるのに。」と平気で言えちゃうタイプが、ジャイアンタイプ。もっと気を遣う(うわべだけでなく)が、のびたタイプまた、しずかちゃんタイプである。

この間また面白いことをおっしゃっていた。

「あのドラエモンで、のびたとしずかちゃんは、将来的に結婚するんでしょう?

あれ、心理的にあっているんだ.。」

理由は、上記1%同士であるからである。

急ですが、「遊んでいる。」とヤクザ。

「キミたち勉強ができないから、そんなことばかり言っているんだヨ!!!」

そのヤクザが、よく”「口」にする言葉”、

「あのキ*タマは、オレたちに、”「一礼」もしねェー”。(****ダ!!!)」

けれども、オレは返そう。オフクロは、オレが小さい時から”「勉強」は大切”。

と、”「口」酸っぱく”言って来た。

そのオフクロが、”もっとも「軽蔑」するように、オレに言っていたのが、お前たちのようなヤクザだ。

そのオレが、お前たちに”「一礼」もしないのは、”極めて「自然」なことだが”、

お前たちは、そんなにオレに”「アイサツ」をして欲しいか?」(笑笑笑)

大体、ユウキビルの「契約」をお前たちは知っているか。

一般で、外でもそうであろうが、

”「家賃」の滞納が、3か月以上になれば、<<解約>>並び<<施設撤去>>

従って、ユウキビルが、オレに向かってどんなに「請求」

しようともせいぜい、家賃は2か月までと、撤去料である。

ハッキリ言って、なぜそんなにオレを離さぬ?

ある晩、蘇我のオレの自宅前での大木と、その娘の会話である。

「もうマンション関係すべて止めようか。」

「イヤダイヤダ。儲けたいヨーーーー。」

 そんなに儲けたいなら別のドクターを連れて来るがいい。お前たちによれば、

どんなにいい場所なんだろうから。オレにとっては、追いかけられるのは、ストレスで、「迷惑」だ

ところで、いつも水戸では診療の前にはいつも、自分の「心」を整えるように心がけている。

オレにとって、「心療内科(精神科)」の診療自体が、”喜びの「場」”であるし、

時には、自身の”癒しの「場」で”さえあるわけだ。

それであるから、水戸の患者さんたちの、

わたくしに対する「評価」は、それなりであるわけだ。

それ以上に、オレにとって、今まで一番嫌だった「職場」はやはり「蘇我」。

患者も職員もジャイアンばかりが、なぜか(統計的なこと以上に)集まってしまった「蘇我」である。

2009年9月26日 (土)

こども(孫)に人生の意義を教えられますか?

「わたしたちは生きるのもキリストのため、また死ぬのもキリストのためなのです。」(聖書)

 昨日の夕食会場でのことである。

トイレに入る前にレジがあり、そのレジの奥に「厨房」がるのであるが、

通りすがりに”「認知」させられた”。

「オクサンと終わりにさせれば、マンションのためにガマンして働くよ。」

トイレで、神の前にぼやいた。「ッタク、いつものことだが、ダイサクどもは分かっていないよ。

その仕事(蘇我での小児科)自体に、自分自身が、全く意義を感じず、

また、全く有意義だと思っていないのに、家庭を破壊したところで、その仕事のために、「人」が働くなんて事があり得ると思っている?その辺がダイサクどもだよ!!」

また、昨日はある患者さんにこういった話をした。

「ボクね、毎日患者さんに会うのが楽しみでネ!」

「そうでしょうヨ!だって先生感じイイモノ。」

80歳代になる女性の患者さんは返して下さった。

 わたくしが、主なる神さまから世にある間にやるように与えられている課題が3つある。

① 「統合失調症」の患者さん達へのこの世の偏見を、「ハンセン氏病」の患者さんに向けられていたそれと同じく取り除いて行くこと。

② 総合医療の確立(すべての医者が専門医になる必要はない)

③ 「虐待問題」に関わり、これをこの世からなくして行くように積極的に社会に関わっていくこと。

いずれにしても、非常に「社会性」」の高い、大きな「使命」と覚えるが、

同時に聖書の次の言葉を思い出す。

「このように父なる神は、小さなことに忠実な者に、大きなことを与えられるのである。」

ただ、確かにそれでなくてもそうだとも考えるわけである。

例えば③。ベースになるのは、AC問題や、アデウィクション(依存症)に関する「基礎知識であり、

日々そういった方々(患者さん達)に関わり、そういった患者さん達を元気にさせて癒して行くことが、そういった事柄(③の課題)に関わって行く「実力」になって行くことは言うまでもない。

現職場の「長」であり、また、わが師なる「先生」は、それこそ、その道(アディクション問題)の名高い「専門家」である。

従って、私自身(自覚すべきことでもあるが)、その道(アディクション問題)の「名門」の門下生である。従って、その道に関する「実力」を比較的短時間につける”「環境」的な恵み”を、

それこそ、主なる神さまから頂いているのである。

”実力のある「先生」に付くのであれば、後は、本人の”「努力」次第”で、2年間で、5年間分の実力をつけることだって、十分「可能」である。

その事自体、”疑いようの無い「こと」”なのであるが、

殊、ハポ~~~~~~ンに関しては、どうしてもこれが”「理解」できない”ようである。

ハポ~~~~ンに関して言えば、”「昔」からコーマン”で、今デモ世界でどんな”大した「存在」”かと思っているようだが、

ハッキリ言って、諸外国の諸国民からすると、よっぽど、”「高飛車」で不愉快”と思っていることマチガイナシと、わたくしは、一「国際人」としては思うわけである。

たとえば、ハポ~~~~~~ンは、”「自分達」の流儀が、まるで、当たり前の如く、他の「価値観」や「考え方」を認めようとしないし、

ハッキリ言うと、

”この「考え方」が当たり前>>この「考え方」でないとダメ!>>この「考え方」でない奴は抹殺しろ”!!という恐ろしい「集団意識」を持っている。

それが、「具現化」したのがキレーションナラシノによる「一国民リンチ「火刑」未遂事件」だし、

その指揮命令系統そのものである。

~~~ここで、「働けヨ!!」と”「邪魔」が入ったが、

「キミたち。勉強ができないから、そんなことばかり言っているんだヨ!」と返そう。

 古今東西を問わず、”「有知識層」とは”そういうもので、

”横暴な「権力者」にとっては、それこそ、”「目の上」のタンコブ”である。

前世紀の東南アジアの”「著名」な虐殺者”、

ポルポトは、”「学問」や「教育」を”、モノスゴク憎んで”

カンボジア国内の「小学校」という「小学校」を、”「有知識層」の拷問・虐殺会場”と化したことは、あまりにも、”有名な「事実」”であるが、

その理由にもうなずける。

彼は、”「力」で自由にならない「有知識層」のことを”、

「有知識層」の学問・教育の故に、

そこまで憎んだのである。

 しかし、わたくしは、”やはり勉強や「学問」といものはやはり、それ以上に”大変「大切」なものである”と思う。

千葉市に、長谷川さんというわたくしとしては、”即座に辞めて頂きたい”「調停委員」がいる。

ハッキリというとどういうことか?

「長谷川さん。アディクイションの「ア」の字も知らないアナタに、またただ知らないだけでなく、知ろうと勉強しようともしないアナタには、

”「家庭裁判」の調停”をする”「資質」も無い”と、

アナタに”チャチな「調停」”をされたために、

”何年越しの「迷惑」を受けている「「被害者」」は考えるワケである。

今日の”「朝食会場」では”、

またもやコーマンなハポ~~~~~~~~~~~ンが、言っていた。

「どうせすぐに、「離婚」させるだけだ。」

しかし、主は、わたくしにこう言われる。「心穏やかにしていなさい。

「これから2審、それも、第一回の「口頭弁論」である。”「必要」であれば”、3審(上告審=最高裁判所での審理)もある。

それなのに、”「離婚」させるだけだ”の「暴言」。

そこらへんが、ハポ~~~~~~~~~~~~~~~~~ンだが、

それにしても、”「ブンヤのおじいいさん。孫に人生の意義を教えられますか?人生の意義の「方向性」に「仕事」の意義の「方向性」が定まり、家庭の意義の「方向性」が定まると、わたくしは思うのです。

オヤジの背中は、元来子どもにとって、とてもデカイものであると、わたくしは、思うのです。

わたしたちは、生きるのもキリストのために生きるのであり、死ぬのもキリストのために死ぬのです。(聖書)」

         (追記)

「だって「調停」しないんだモン。」とヤクザ。

”「調停」をするのが当たり前。「調停」をしないのが悪く、

そういう奴は、どんな「不利益」を被っても当たり前。

だって、「調停」をしないのが悪い。」

そこらへんが、ハポ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンだヨ!!

それにしても長谷川先生。”勉強「不熱心」のままで”、

「家庭の「調停」なんてしないで下さい。

アナタの「調停」を受けた時に、(残念ながら)

アナタの勉強「不熱心」を”「肌」で感じてしまいました。

       (追記2)

「ダラシナイ格好して。」とヤクザ。

プライベートな時間も含めて、「四六時中ネクタイであるべきだ。」

自分達の「流儀」が当たり前。

(散々アジアで残虐行為をしてエラソーに振舞って「敗戦」しながら、

”「反省のカケラも無い。」

そこらへんが、ハポ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンだ。

けれども、それ以上に、「人」が嫌がること。それも大嫌いな事を、”「強制」しようとし続ける。

こういったことは、”十分に”、「恐喝・恫喝行為」の範疇に入るかと思います。

    (追記)

急遽であるが、”「ネクタイ」に鳥居が重なって来た”。

”「危険」の象徴”、ネクタイ!!

いい加減に「反省」しろよ、ハポ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!!

    (追記)

昨日ヤクザが言っていた。

「そんなにうるさいなら発達障害やらせればいいよ。」

そんな”「取って付けたように」言うな”!!

こちらは”「真剣」なんだ”。

お前たちのようにネクタイさえ付けていれば、「仕事」をしている気になっている。ハポ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンとは、違うんだ!!

「人はうわべを見るが、主は「心の中」をごらんになる。」(聖書)

お前たちに対するハポ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンだって、”「真剣なんだ”。

すんわちどういうことか?

この国に対する「愛」だって、”「真剣なんだ”。

「だから警告しているんだ。ハポ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!」

2009年9月13日 (日)

過敏性腸症候群

聖歌 422 番  
1    

罪思い出さする涙の夜よ行け、笑みと感謝の朝を我は待てり、

我は病みて裸、目に光なけれど、唯君見上げつつ、我行かまし

2    
 

地の宝、快楽、見るだに厭わし、唯慕い奉るは主の十字架、

嵐よ早く行け、安きよ来たれ疾く、彼方の光へと我行かまし

 
3    
 

主の嘉(よみ)し給わぬ手の業我 棄てん主の御心にのみ我従わん

古き我が身ならで主と共に死したる、新たなる姿に我行かまし

「主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう。」」

     ( 旧約聖書 出Fジプト記 33:14)

 本日は日曜日、聖書の神、主にある「安息日」である。

上記は、本日の母教会における礼拝メッセージの聖書箇所からの引用と、本日同礼拝において賛美した聖歌である。

当会場にて、分列の「「輩」」は、わたくしが、上記聖歌をブログとして出したとたんに言い出した。

「大木さん、ヤバイよ。「裸」になるよ。」と。

一方で、教会では、教会学校に通う小さな子どもたちが、アッケラカンに言っていた。

「名ドクターのが正しいヨ。」

「順番のが正しいヨ。」

いよいよハッキリさせるべきだと思う。

たとえ、”「年長者」であっても”、

”「犯罪」は「犯罪」として”、また、それに伴って、”「犯罪者」は「犯罪者」として裁かれるべきであるということを。

 「主の嘉しみ給わん手の業(わざ) 我棄てん、主の御心のみに我従わん」とは、どのような意味か?

「手の業(働き)は、正に、主から加(=嘉)えられたもの(=与えられたもの)であって、

主の御心によって、

この(神からの)賜物を用いるべきであって、

従って、場合によっては、(主の御心次第では)、

自らの手の業を棄てる(=廃業する)ことも、ありますよ。」

という意味である。

今、正に(ヤクザは追って追ってうるさくて仕方がないほどであるけれども)、

わたくしにとって、”「蘇我」で小児科”をやることは、

神の御心ではない、神の御心に反することなのである。

(従って、もうすでに辞めているのであるが)

辞めるのは「必至」なのである。

今日、教会で「分列盗聴器」より

”「「こころ」で穿くんだ”から、仕方ないよ。」と、

ソウカの親玉を(個人的に)”「認知」させられた”が、

正にそう。この人は、百パーセント「調停」をしないのだ。

 一方で、今朝、ただ今穿いている”野良「ズボン」”の、尾てい骨に近い部分が、ペラペラに薄くなっているのに気づいた。

わたくしが、”「迷彩」を穿き出してから”、相当早期に購入したものであるから、

確かに「年期」が入っていると言えば、そうであるが、

それにしても、いかに、”「毎日」のように”穿いているということを、

いまさらながら、再認識させられている。(まあ、ジーパンと同じように、最後には擦り切れて穴があくのであろう。)

実は昨日、あるところで、”「認知」させられた”。

「奥さんは、野良ズボンで、水戸でいいって言っているんだもんなー。頭に来るよなー。」

けれども、それって、ものすごく、意味が深いことであることを、覚える。

水戸でいい。これは、”比較的「簡単だ”。

要は、「勤務医」でイイヨということだ。

さて、では野良ズボンでいいとは、如何なる意味か?

神は、今朝教えて下さった。

「あなた(=わたくし)が、兵隊の(ような)心になって、「貞操」を守ってくれたことへの”「感謝」の意である。」と。

 さて、最後の段落になって、題目の「過敏性腸症候群」である。

これ、実は今自分自身が、なっている「状態」でもある。

非常に高いストレス下において生じる、

ストレスの「身体化症状」である。

今朝、あらためて、気付いたことであるが、結構これは、”「奥の深いもの」がある”疾患で、

難治性のものは、非常に難治性である。

心療内科では、通常、”ノリトレンといった「抗うつ剤」”や、”デパスといった「精神安定剤」”を用いる。

加えて、男性では、最近よく効く、”イリボーという「新薬」”が出ており、よく効くが、

女性では、(イリボーは使えないので)、

わたくしは、よく”桂枝加芍薬湯といった「漢方薬」”を用いる。

が、

実は、この間、”「苦労」して治した”症例がある。

若い女性であったが、「桂枝加芍薬湯」が初めは効いて、「下痢」は収まったものの、

”「腹痛」が中々とれない”。

(こういった例は「過敏性腸症候群」でも、難治例であるが、)

患者さんのお話を聞くうちに、一つのことに気付いた。

すなわち、その患者さんが言われるには、ある程度長く歩くと、「腹痛」を生じ始めるということで、

そこから、気付いたのである。

ひょっとして、この患者さん、全体的な「内臓下垂」があって、下部直腸~肛門においてもそれがあり、

ある程度の時間歩くことが、そういった(内臓の)「下垂」を助長して、内臓(腸)の痛覚過敏をひどいものにしていると、

そして、その際(=長時間歩いた際)には、”「脱肛」まではいかなくても”、それに近いに状態になっているのでは?考えたのである。

つまり、そのくらいひどい「内臓下垂」状態によって、痛覚過敏がものすごくひどいものになっていると、考えたのである。

それで、漢方薬を、それまでの「桂枝加芍薬湯」に代えて、(”「気」を上衝させて”、)

下垂した内臓を引き上げる作用を持つ「補中益気湯」に代えてみたところ、

見事に「著効」して、

その患者さんは、今、「身体」「精神」共に、非常に健やかな「状態」になっているのである。

先日、東京にて、「脳と栄養のシンポジウム」というシンポジウムに参加させて頂いたが、

中で、ある大学の「精神科」の准教授の先生が言っておられた。

(簡単に言うと)

「「精神科」とは、「脳内科」である。」と。

また別の演者の先生が言っておられたが、

「心療内科」とは、その”「脳」の内科と「身体」の内科”がドッキングしたようなものであるということである。

わたくし自身にも、約20年に亘る”「医師」としての”長いキャリアがあるが、その殆どの時間が、「身体」の内科の診療に費やされてきたことを覚える。

が、

同時に、今正に、”「進行形」にて”、

「心療内科」のクリニックに勤めさせて頂いており、

そのうちの、”「脳」の内科”の診療にも、早2.5年の診療歴を持たせて頂いていることを、覚えるのである。

もちろん、これからもやりたいことも沢山あるし、

勉強したいことも、実は”盛りだくさん”なのであるが、

今正に、”「確実」に言える”ことは、

水戸の「心療内科」のクリニック(今の勤務先)は、

今正に、わたくしにとって、”「神」の御心(みこころ)に適(かな)った”「職場」であるということであり、

今、ここにそのことを、あらためて覚え、”深く「感謝」する”次第であります。

     (追記)

日本教*クリエイトとは、実に不快な会社である。(ある方の紹介なので、本当は、あまり言いたくはないのであるが)

つまり、最初からヤクザに便宜のいい「派遣職員」を送り込んで来たということである。

2009年7月18日 (土)

尊属関係

「喫茶店でほほづえついて 誰か待つよなふりをして

タバコの煙 目にしみるだけ こぼれる涙ぬぐおうとせず

いなか者とは 悟られぬよう 3杯目のコーヒー頼んだ。

いくら何でも3杯のめば それもしっかり飲み干せば

店の雰囲気 冷たい視線 気まずい思いかみしめながら

嫌だ嫌だと つぶやきながら 人の波に飲まれる

   <中略>

急いで探す 公衆電話 百円玉の黄色いやつ

声が聞こえる 父さん母さん 強く受話器握りしめ

帰りたいさ 今すぐにでも それが言えずに 

それじゃまた」

     (往年のヒット曲 「ふるさと」 より)

 神は知っておられる。わたくしがどんなに獨協医科大学を”「退学」したかった”かを。

その当時、大学構内の黄色い公衆電話で、どれだけ親に<<SOS>>を発信したかを

そして、「先生は、今診療中です。」と何回太っちょ看護婦(当時に)に言われてガチャンと切られたかを。

 主は知っておられる。

父が、わたくしに言った傷つける言葉を。

お前は、あの人たち(いじめる人たち)の爪のアカを煎じて飲んだ方がいい。」

「(精神科の)薬を人前で飲むことをハズカシイと思え。」

 今日、わたくしは、「分列盗聴器」より”「認知」させられた”。

「ユースケが言っている。「オヤジの病名が嫌だった」と。」

実際にどうなのかということはあるが、実際として言えば

「お前は、ウンコ食べて生まれて来たのか? お前のルーツはどこだ

その昔、この国の規定に、「尊属殺人罪」というのがあった。

つまり、昔で言えば、お前とオレは尊属の関係だ。」

 わたくしが、一つ興味を持っていることがある。

その昔「尊属殺人罪」が存在していたころ、

もしも、子どもが、”「離婚」して戸籍の違う「父親」”を殺害した場合、

「尊属殺人罪」は、適用されたのかどうか?

書く内に主は答えを賜った。「Yesである。」と。

     (追記)

わたくしは、世に問いたい。

これでも、獨協医大に”「落ち度」がない”と言うのかと。

また、わたくしは、言いたい。医者が全てか

      (追記2)

主は言われる。「日本人はゴーマンだ。」

いずれにせよ、あなたは、悪者を助長している”この国の「調停」”に参加する”「必要」はない”と。

主は、さらに言われる。

「日本の裁判所が、いくら「「富国強兵論」」に基づく「判決」を出したとしても、「神」は平等である。

その証拠が、あなたの妻子が、あなた無しでは、結局はヤッテイケナイ「判決」を出したことだ。

(ある筋が)エラソーに「「裸」にする」と言ったところで、”「裸」になられたら”、

妻子何食うの?という「判決」を出したことだ。

      (追記3)

なぜ、オレがネクタイが大嫌いか。

オレの大嫌いな獨協医大が、出元だからだ。

けれども、それ以上に、ヤクザは愚かだ。

「辞めたいヤツに何条件つけて(居させようとしてい)る。?」

     (追記4)

Nカフェで、「「輩」」がitte  いる。

ユースケが告発した。「ネクタイぐらい・・・」

お前は、オヤジが死んでもいいのか?

     (追記5)

今日、「分列盗聴器」より”「認知」させられた”。

「ミヤガワが、、せめてズボンは・・・・」

最近、フラッシュバックさせられる名を、「分列盗聴器」より、

”「認知」させらいる”。

「シミズ、ミヤガワ、etc」

ほかにもあがって来る。「ミゾグチ(栄養療法とは関係なし)、ツチヤ」

そう言えば、いつか名簿で見た。ミゾグチは、結婚してシミズになった。

もっとも、最初のシミズは「男」である。

     (追記6)

それでも、主は言われる。

「毎火曜日ごとに、戸籍謄本を引き出し世に発表し続けよ。

神の御名(みな)は崇められ、ソウカは、回を追うごとに”「大恥」をかいて行く”。」と。

       (追記7)

「働けばいい。働けばいい。」という「「輩」」に言う。

「実力以下の学校を<<強制>>され、”「分裂病」にさせられてしまった”「男」の気持ちがわかるか?

獨協医大は、少なくとも、”「青年」が、分裂病になる「可能性」を予期し、これを「回避」する<<義務>>があったハズだ。

2009年6月23日 (火)

人知を遥かに超える「神」の御思い(みおもい)

「幸い薄く見ゆる日に 孤独に悩む時に

わが恵み汝(な)れに足れりと 静かな声を聞きぬ

さればわれわが目を上げて 十字架のイェスを仰がん

ああ汝(な)が愛を思えば われに乏しきことなしと

 愛する者を失いて 希望の消ゆる時に

われ汝(なんじ)を独りにせじと 優しき声を聞きぬ

さればわれ笑みをたたえて 友なるイェスに応えん

ああ汝が愛に生くれば ************」

    (聖歌 「幸い薄く見ゆる日に」    )

 母が、この2ー3週間というもの調子が悪い。

「ごめんネ。こんな病気のお母さん、役に立たなくてごめんネ。」

なぜ調子が悪いかは、言うに及ばず、息子のことが心配だから。

もっと言えば、(言葉にこそしないが)息子の家庭問題に責任を感じているから。

けれども、オレが言い及べば、

「お母さん、生きていないで。」と言っているのと同じになる。

問題がある時に、その問題ばかり見つめるならば、そこには、”底なし沼の「絶望」”があるのみとなる

 本日の職場での勉強会は、ゲシュタルト療法の続き、

その中で、次のようなお話があった。

すなわち、ゲシュタルト療法において、

セラピーを受けるクライアント(患者)の抱える問題点を”「焦点」化”しようとする時に、

”「図」(figure)と地(ground)”という見方で見て行く。

例えば、一つの「風景」を創造されたし。

「風景」に、「家」と「樹木」と「太陽」があったとする。

「家」に注目すると、家が「図」であり、樹木と太陽が「地」となるし、

「太陽」に注目すれば、太陽が「図」であり、家と樹木が「地」となる。

また、「樹木」に注目すれば、家と太陽が「地」となるわけである。

「考え」というものが、固着化してしまうと「図」しか見えなくなり、「地」が見えなくなる。

上記の「風景」の例で言えば、例えば、「家」に考えが固着化してしまうと、

地である「太陽」や「樹木」が見えなくなるのである。

 急に、今ふと思った。

家を正に、わたくしたちの家庭の「時事問題」、

太陽は「神」さまと捉えよう。

太陽の恵みで育つ「樹木」はなんと捉えようか?

つまり、こう捉えるべきであろう。

太陽にたとえられる「神」さまの恵みで育つ樹木は、

わたくしの家族の一人一人であると考えられよう。

何せ、家族全員がクリスチャンであるわけであるから。

じゃあと、「神」からの恵みの一つを思った。

わたくしに与えられたクリスチャン弁護士

この度、”「控訴状」を作って下さる”ことになった。

わざわざ、そう書いたのは、頼んだ当初は、

ただ、”「書式」の作り方”だけお教えしましょう、

だったのが、”「控訴状」を作って差し上げましょう”に変わったからである。

わたくしは、このことを、御聖霊なる「神」さまによることであると

受け止めているわけだ。

中々出会うものでもない。すなわち、クリスチャン弁護士というものにである。

一つの御言葉(みことば)を思い出すのだ。

すなわち、

「あなた方の内に争い事がある時、なぜ、教会で軽んじられているような人たちを

裁判の席に着かせるのですか。

そもそも、その事自体が、あなた方の負けなのです。」(聖書)

もっとも、妻と争うというよりも、ヤクザ問題が「「焦点」」であるわけだ。

なぜならば、今回の「離婚沙汰」に”悪魔の「手先」”の関与は

絶対的に「存在」する”と考えるからである。

 尚、今日は火曜日にていつもの如く主とのお約束を果たした。

戸籍謄本に変化なし。

けれども、不思議な話であるが、繰り返し繰り返し、

この火曜日毎の、主とのお約束を果たし続けるうちに、

”「離婚」100%なし”の<<確信>>を得ているのである。

つまり、”「戸籍謄本」を引き出して調べる”という「行動」を

”「離婚問題」(を考える)という”「考え」にフィードバックしているわけであるが、

今日の廣瀬クリニックでの勉強会の最後に

廣瀬先生が言っていたことを思い、重ねているのだ。

つまり、「行動」を先に起こして「考え」にフィードバックさせると、

逆に(固着化してしまって、他には考えられなくなっている「考え」が動く」ということだ。

「神」さまは、あくまで平等、すなわち、わたくしに注がれるならば、彼女にも”等しい「恵み」”が注がれていると、考えるのである。

<廣瀬先生講話の概略>

10代から20代の若者では、「考える」ということが、どうしても未熟であるため、

感覚」が先に立つ

つまり、”「嫌い」になったら「嫌い」”で、「こういう面もあったじゃない」など考えられなくなる。

考えることのできなくなっている若者に行動をさせて見ると、

変化」した”という経験を”豊富」に持っている”。

       (追記)

”「未払い」だらけ”のクセに「離婚」しろ”と

ヤクザがのたまう。

だったら、日本は不払いの「戦争賠償金」をちゃんと支払え!!

大手百貨店も然り!!

獨協も”「誤診」による「被害」”への賠償金を支払え!!

マンションの奴隷にされてたまるか!!!!!

たとえ、殺されてもゴーマンションの協力医は断る!!

           (追記) (6月24日付)

今朝から、「分列盗聴器」より(それぞれの)「「狡猾さ」」を”「認知」させられている”。

すなわち、

① 「相手があんなに”「調停」を愛している”のに

”「専門外」のために”あんなに争うならば「離婚」すべきだ。」とか、

② 「野良ズボンのためにあんなに家庭を”「射抜かなくても」よかったのに。」

「だって、早く離婚させて女を求めるようにさせないと地元にアイサツをしないんだもん。」とか、

③ 「オナニーのために”「裸」が出る”なんて初めてだ。」とか、

④ 「廣瀬先生まで、あんなに”射抜く”ことなかったのに。」

「だって、”「地元」であんなに人気があるのに”とんでもないヨ。」とかである。

けれども、わたくしは、今朝のデヴォーションにおいて

素晴らしい「御言葉(みことば)」を主から賜った。

すなわち、

「わたしのことばを実現しようとわたしは見張っているからだ。」(旧約聖書 エレミヤ書 1:11-12)

である。

そして、その(わたしの)言葉とは言うまでもなく下記である

「モーセはあなた方が頑(かたく)ななのを見てそう言ったのであって、はじめからそうであったのではない。

(すなわち、)”「創造」のはじめから”神は、人を男と女に作られた。

それゆえに、人は、その父母を離れ女と結ばれ二人は一体となる。

一体となったのであるから、二人はもはや二人ではなく一つである。

神が合わされたものを人が離してはならない。」

(マタイによる福音書に書いてある「記事」で、すなわち)イェスさまを試そうとした「「輩」」が

「「先生。妻を離縁しようとする者は、離縁状を書いて渡せ。」と書いてありますが。」とわざと尋ねて聞いた時の、

主ご自身のお答えである。

     (6月24日付け 追記2)

「もう英語しかないよ。」と

「「輩」」がのたまう。

語学学校L-one(かつて、ダイアナ妃がフランス語を学んだリンガフォンが前進)で、わたくしが学んだのは、

実践的な医療用「英会話」”である。

もちろん、そのトレーニング以前には、

”基礎「英会話」”のトレーニングも積んでいるが、

当然”「必要」なこと”と考える。

積んで来たトレーニングはすべて、

やがて”「約束」の地”である「船橋」で、

有意義に「活用」される”ものと考えている。

2009年6月10日 (水)

周囲に「ダイサク」のいる限り

「だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るがわたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう

        (旧約聖書 サムエル記上 17:45)

「さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。
すなわち、わたしが獄に捕らわれているのはキリストのためであることが、兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり、
そして兄弟たちのうち多くの者は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言を語るようになった。
一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、他方では善意からそうする者がいる。
後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、
前者は、わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしている。
すると、どうなのか。見栄からであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだからわたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう。
なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついにはわたしの救いとなることを知っているからである。」

      (新約聖書 フィリピの信徒への手紙 1:12-19)

「義のために迫害された人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽りの様々な悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

      (新約聖書 マタイによる福音書 5:10-12)

 今日もまた、デニーズで食事をした。

今日もまた、ダイサクが、”「厨房」から”そしった、「”「無資格医」なんだ”。「裸」が似合う。」

オレは、思わず口にした。

「ダイサク軍団は、「敵兵」と思え。そうすれば、いつも”「失礼」なことを言われても”、

割り切れる。」

 何年もの間、サバイバルを生き抜いた「男」には、”「迷彩」が似合う”(のも不思議ではない)。

ヤクザとダイサクの毎日の”執拗な「攻撃」”

彼らに属するところの”「自衛隊」員”には、二度にも渡って、”「処刑」されそうになった”

それも、”電子レンジ”による<<火あぶり>>の刑

松本智津夫式の電子レンジだ。

そこまでされて、尚、彼は”戦う”。

というよりは、”戦わざるを得ない

ダイサクは、常に彼を圧迫する。

彼が、キリストを述べ伝えるからだ。

 今朝、ヤクザどもが言っていた。

「ココログ射抜こうとしたんだが、「人気」があって止められないんだ”。

聖書(の言葉)人気があるんだそうだ。」

 正に「人のこころ」を打つもの”、それは、それこそ、人なるものを、

命をかけて救おうとされたイエス・キリストと、

その父なる全世界宇宙の創造主なる「神」の御愛である。

2009年6月 9日 (火)

わたしの「自己実現」

「人は、誰でも新しく生まれなければ神の国に入ることはできない。」(聖書)

「見よ、わたしは新しいことを行う。それらはすでに芽生えている。」(聖書)

 本日夕、廣瀬クリニックの「不登校児の親の会」に参加させて頂いた。

その中で、TAゲシュタルト療法について、学ぶ機会を得た。

「自己実現のための再確認」という著書をテキストに用いた。

中でも、今日は、最も、肝要となる「再確認」ということについて、学ばせて頂いた。

 TAゲシュタルト療法における「再確認」とはどのようなものか。

人は、8歳ぐらいまでの間に、(殆どの場合は)自分の親に人生のおよその筋書き(生き方としての「方向性」における筋書き)を与えられ、殆どの場合、その筋書きに従って、その後の人生を歩んで行く。

時として、この筋書きによって、歩む際に「歪」を生じることがあるが、

この「歪」を是正するにはどうしたらよいのか、このことを具体的に解決する方法の一つが、TAゲシュタルト療法による「再確認」である。 

療法の詳細については、今回は、敢えて省きたい。

今回は、むしろ、”その「再確認」によって、もたらされるところの、「自己実現」”ということについて、書きたいと思う。

もっと、言えば、「自己実現」ができるならば、どんなにかその人の人生が”輝いたものとなる”、ということについて書かせて頂きたいのである。

 わたくし自身、今(尚も途上ではあるかも知れないが、)「自己実現」に及んでいる。

今思うと、非常に不思議であるのであるが、自身が、フロイトの交流分析においての「禁止令」の一つであるところの、「男性らしくあるな」(女性では、女性らしくあるな)というところに、縛られていた(ことを覚える)。

今、その「禁止令」から、正に”「解放」されて”、「自己実現」に及んでいる。

が、逆に、そこから、「再確認」というところに遡ることもできる。

すなわち、自分の心の内には、「男らしくありたい」というのが、実はあって、(不思議と)”「抑制」されていた”ということだ。

ここで、不思議というのは、そういった「禁止令」というのは、自分の親から与えられる負のストロークによるのであるが、

親が、これを与えてしまうのは、往々にして、”望まない「性」”を、出産した場合であるからだ。

いずれにしても、その「禁止令」から、”「解放」されて”、「自己実現」しているオレにとって、

”「家族」を守る者”となりたいという「思い」は、極めて”自然な「欲求」”であるのかとも思う。

 子どもを深く愛し続ける「姿」に意地悪く(?)、「ドナーには、あそこまで書けないよ。」という「「輩」」」もいるが、

わたくしにしてみれば、、正に、実現中(実現している最中)の「自己実現」に伴って”大きく花開いた「父性」”がブログを書かせているわけだ。

        (追記)

本日も、毎火曜日の、主とのお約束の通り、「戸籍謄本」を引き出した。

バツ一つなく、皆わたくしの「家族」である。

また、今日は、”変な「情報」に”対策する意味で、住民票も引き出した。結果、異常なし。

2009年6月 7日 (日)

個人主義と利己主義

 日本人は生意気だ!!

戦争が正しい? だったら結果も正しいわけだ。

アメリカが原爆でしたと同じこと、

お前らもアジアでしたのを忘れている。

「兄弟たち、まず自分の目にある丸太を取り除きなさい。

そうすれば、よく見えるようになって、他の兄弟の目にある”おが屑”を取り除くことができるであろう。」(聖書)

は、真実だ。

 なぜ、日本人はこうも生意気なのか?

千葉市の海浜病院の「夜救診」に行ってみてごらん?

それこそ”「資格」のない”素人が「オレたちは素人だから」、と大盤振る舞い。

だったら、素人らしい”「礼節」をもって”玄人に接したら?

ハッキリ言って、オレはあんなもんヤッテヤル必要はないかと思う。

 ハロー 創価学会。次の国会に提出して見れば?

すべての医師は、業務中に限らず、日常常時にネクタイを着用するべし。」と。

ハッキリ言って、日常は愚か、業務中に限ったとしても、”「一笑」に付される”であろう。

「レストランは、働いているんだ。」と分列盗聴器。

「お前たち(レストラン)の仕事は、<<客を>>不快にすることか?(オレに)答えて見ヨ。」

答えられないんだったら、二度と言うな。「無資格」と

*-ビンは、「自賠責」が切れていたと言うんだったら

それは、アンタ達の責任でしょ? (放置しておいたんだから)

それとも、何かい?下心」でもあるの、ネクタイ使った?

 ”「迷彩」が悪い”と、”「責任転嫁」を”する人たちがいる。

けれども、むしろ「ネクタイ」が悪いというのは、”「自明」の論理”だ。

勤めるのに、「こんなに言う」と言う「「輩」」、

ゴーマンな「敗戦国」の社会がおかしい。

つまり、”「個人」の人権とか、幸福とか”も、

もっともっと”「尊重」されるべき”なのだ。

         (追記)

”「尊敬」できない「年長者」”が、

”「先輩面」すること”ほど

”「胸クソ」の悪いこと”は、ない。

その点、恩師は立派である。

その、片や***は、???

彼にはキ*タマ付いているんだろうか?

         (追記2)

ヤクザ側は、「半分」でもと、漏らしているが、

不当な請求には、”「支払い義務」はないもの(「皆無」である)”と、考える。

まして、”「司法判断」が、そう支持する”のであれば、

尚のことである。

         (追記3)

sミレニアムロイヤルカードの駐車場無料サービスが、

もしも、一日一回限りというのであれば、

ハッキリと”「表示」するべき”だ。

そうでないと、お客さんはかえって、”「迷惑」する”よ。

         (追記4)

タカハシは、見せしめであruto,

syu ha iwareru

すなわち、*-ビンもそうであるが、こういうことである。

「わたしと共に集める者は、わたしの味方であり、

共に集めない者は、散らすのである。」(聖書)

将来に向けて、 精神医療のための大事業に

「協力」しようとする者”は、「神」の味方であり、

「協力」しようとしない者”は、これを、”「阻止」しようと”する、

ということである。

2009年6月 5日 (金)

賢い妻は

有能な妻は夫の冠。恥をもたらす妻は夫の骨の腐れ。

          (旧約聖書 箴言12:4)

家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの

          (旧約聖書 箴言19:14)

 神よ、主よ、あなたは言われます。

わたしは、真理であり、道である。(聖書)」と。

あなたの与えられた(わたくしの)妻は、賢く立ち振る舞う、と。

その昔、シラスというシリアの将軍を討ち取ったのは、正に、女性。(名もない一人の「男」の妻)

知恵を使い、まんまとシラスを騙して、安心させ、かくまう振りをして藁(わら)をかぶせ、

額に杭を刺し通した

 主よ、変な話、わたくしは、少し女性恐怖症に陥っています。

”「女」は怖い”。

けれども、主よ。あなたは言われます。

「全幅の信頼をわたしに置け。

彼女は、わたしが、お前にもっとも相応しいと考えて与えた妻だ。

最後の最後まで信頼せよ。

あなたの妻は、”実に賢く”立ち振る舞うであろう。」

 賢い妻は、主から与えられ、有能な妻は夫の冠となる。

すなわち、主から与えられた「妻」は、”夫の「栄光」”となるわけだ。

同じように、旧約聖書の箴言には、かく、ある。

「孫たちは老人たちの冠。」

老人として、神の前に、あなたの”残された「母」”と、

あなたの妻のご両親は、平等である。

であるから、あなたの母にとっても、3人の孫たちは、冠(となる)

 安心せよあなたの妻は、実に賢く立ち振る舞うであろう

「知恵」を与えるのは、他ならぬ私、主である

主よ、さらば、われ御前(みまえ)に祈らん。

わが妻に”尊き「御知恵(みちえ)」”を授け給え。」と。

         (追記)

昨日、廣瀬先生が言って下さった。

勉強家だから教えてあげる。」

精神科領域の薬の使い方のテクの一つを、である。

そういう意味では、”「学び」の身”である。

けれども、医師としておよそ20年の経歴を持つ者

”この世での「処遇」”も然るべきである

わが愛する家族に告ぐ、”必要なものであれば、「神」さまは、与えられる”のです。

それは、クレジットカードであってもまた然り

つまり、「神」が与えられるわけである

          (追記2)

今朝の番組でやっていた。

シャツ イン または、 アウト。

男性40代、60%がアウト派だ。

加えて、立派な「ズボン」”のうわさもある。

確かに、”究極の「若造り」”かも知れない。

けれども、お前たちは、どちらがいい。

若いはつらつとしたお父さんと、いかにも”オヤジ臭い「オヤジ」”と。

          (追記3)

「順番」のため、バランスをとるため”「離婚」させる”、

或いは、”「裸」にする”。

もろ、ヤクザの世界の「掟」であるが、

一般人に、これをムリヤリ当てはめるのは、

”チャンチャラ「おかしい事」”であるかと思う。

2009年6月 2日 (火)

「神」と戦って勝った者

口語訳を見る
「ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」

口語訳を見る

「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」と

エサウが答えると、

口語訳を見る

ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」

エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。

口語訳を見る

ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。

エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。

こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。 」

(旧約聖書 創世記 25:31-34)

 やがて、船橋で展開する「新事業」を覚える時、

上記の聖句を思わされる。

すなわち、千葉市と船橋市をエサウとヤコブの関係になぞらえて考えさせられるわけである。

すなわち、”彼の「街」”は、神の祝福された「分子整合栄養医学」を軽んじて、パンとレンズ豆の煮物を喜んだのである。

ヤコブ(後にイスラエルと改名)とエドム(エサウの子孫)の関係を考えるならば、

神の選びの不思議をなお考えるのである。

ヤコブ(押しのける者の「意」)が改名したイスラエルの「意」は、

”「神」と戦って勝った者”の「意」である。

 上記の事柄の後の日に、ヤボクの渡しで、ヤコブは、真夜中、

見知らぬ「男」と格闘することになるのだが、この「男」が、すなわち、

「神」であったのだ。

夜中(よるじゅう)の戦いに負けないヤコブに、

「神」扮する男は、「わたしを去らせよ。」というのであるが、

ヤコブは、「いいえ、祝福して下さるまでは離しません。」とがっぷりと四つに組合い、

結果、「神」はヤコブの腿のつがいをはずされた。

そして、彼に言われたのである。

「お前の名は何と言う。」

「ヤコブです。」

「お前の名はこれからイスラエルと改めよ。

「神」と戦って勝ったからである。」と言われたのである。

すなわち、「祝福して下さい。」と、しつこいヤコブに、

「神」さまが、”根負けした”というわけである。

 本日は火曜日、いつもの如く、(神とのお約束に従って)「戸籍謄本」を引き出してみた。

妻の名も、3人の子の名も、わたくしの戸籍にしっかりと入っているのを確認した。

(わたくし自信)(この事は)「神」さまから示されてやっていることではあるが、逆に純心に従うことを通して、

「”「祝福」して下さる”までは、離しません。」とでも言っているかのようである。

いずれにしても夫婦の正念場であるこの3週間の後に、

必ずや、主はわたくしたちに”「回復」を与えられる”ことを確信しているのです。

もちろん、世での(父親としての)「努力」も怠りませんでした。

これについては、今更という「観」もありますが、

水戸での評価の「高さ」に集約されていると思っています。

すなわち、廣瀬クリニックでの”患者さん達からの「評価」”に集約されるかと思うのですが、

逆に言うと、これについては、直接、

患者さん(達)の口から聞かされているというのもあって、

”「自信」をもって”おります。

けれども、家庭の「回復」には、それ以上のことがまた、必要であるということもまた、知っております。

すなわち、「「愛」」が必要であるということを、であります。

だからこそ、「神」に向けての

「”「祝福」して下さる”までは、離しません。」という「「姿勢」」は、

極めて大切であるということを思わされています。

一方で、聖書にはこう書いてあります。

「「愛」のない人には、神は分かりません。

なぜならば、「神」は愛だからです。」

(ヨハネの手紙一 4:8)

 正に、あらためて「神」に寄りすがることの大切さを思わされました。

2009年5月27日 (水)

敗戦国の驕り

 日本人は一体何なんだろう?

わたくしが、離婚されて、「裸」にされるのを心待ちにしている「「輩」」を見ると思うのである。

「離婚証明?あれ、評判いんだよ、さっぱりしているという意味かね?

どう言ったって、シングルだけどね。」

ホンマカイナ日本人、人の不幸がそんなに嬉しいか?

そんなに、オレが今以上に傷つく姿を見たいか?

一人の「男」が、最大限の侮辱を受ける姿が、そんなに見たいか?

 けれども、主はわたくしに、知恵を賜っている。

すなわち、シングルにされるならば、それもよし。

その代わり、「貞操」だけはしっかり守れ。

主は言われる。

妻子が離籍して少し落ち着いて、子どものなにがしかの日に、プレゼントを持って、妻の実家を訪ねるがよい。

そのとき、あなたは、迎え入れられる。

 「負けたんだ。」の声?

母とこの前、話した。

「神の恵み、順序は人には、計り知れない。

つまり、ヤクザ裁判には勝利、家庭には敗北ということだってある。」と。

ところが、母は言った。

家庭のそれは、「負け」というような考え方をする必要はないよ。神さまに従うということ。

すなわち、神がどのようなご采配をされるのか、お任せして行くということなんだよ。」

先ほどの、主からの啓示の続き、

「それをきっかけにして、あなた(=わたくし)は、家庭をいよいよ完全な回復に向けて行けばいい。

つまり、もう一度彼女と結婚すればいいんだよ。」ということである。

「なるほど、そうです、主よ。

なぜならば、夫婦として歩むには、好きになってもらわなければなりませんから

何せ、どう言ったって、性生活も付き物ですから

ただ主よ、わたくしたちには、尚希望があります。

なぜならば、

更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく、主です。

既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。――また、夫は妻を離縁してはいけない。 」 

           (新約聖書 コリント人への手紙Ⅰ 7:10-11)

とあるからです。」

けれども、ヤクザ裁判を睨(にら)みながらいずれにしても「「控訴」」は致します

 ヤクザは、ずっと気持ち悪く、わたくしが、蘇我に戻って開業するという100%あり得ない

「「妄想」」を持ち続けています。

100%あり得ないのに。

主は、わたくしをヤクザどもから引き離します

その経過途中で「「離婚」」が、”戸籍上必要”なら、それも然りです

「あなた達は、「然り」は「然り」、「否」は「否」でなければならない。」(聖書)とある通りです。

今しばらく忍耐する「力」をわたくしに、お与え下さい。

御名(みな)によって祈ります。アーメン」

汝の敵を愛せよ。」

「汝(なんじ)の敵を愛せよ。」(聖書)

 わたくしは、この間初めて、係る話を母にした。

母は、ただひたすら静かに涙を流していた。

平成20年1月4日午前1時過ぎ、妻と実家の一行が、

蘇我のわたくしの自宅に到着した。

大木が出向けて言った。

これから、政治改革を行う。

つまり、一人の正義漢を処刑するという意味のことである。

「佐和子、遥かせてもらえば。」

「政治改革どのくらい時間がかかるのですか?」

「20分位」

「あまり迷惑をかけてもいけないから、早く決めないと。」

「わたしが悪かったの。」

「・・・・・・・・・・・・」

「わたしが決める。」涙いっぱいに走り去った女性。

神に仕える方よ。

神の前で偽ることができますか?

わたくしと、あなたの間を裁かれるのは、他ならぬ主です。」

2009年5月26日 (火)

神の与えられる物

1節 あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。
2節 あなたは多数に従って悪を行ってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。
3節 また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。
4節 もし、あなたが敵の牛または、ろばの迷っているのに会う時は、必ずこれを彼の所に連れて行って、返さなければならない。
5節 もしあなたを憎む者のろばが、その荷物の下に倒れ伏しているのを見る時は、これを見捨てて置かないように気をつけ、必ずその人に手を貸して、これを起さなければならない。
6節 あなたは貧しい者の訴訟において、裁判を曲げてはならない。
7節 あなたは偽り事に遠ざからなければならない。あなたは罪のない者と正しい者とを殺してはならない。わたしは悪人を義とすることはないからである。
8節

8節 あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は人の目をくらまし、正しい者の事件をも曲げさせるからである。

               (出エジプト記 23:1-8)

 旧約聖書 出エジプト記23章の1節から8節である。

今日は最悪、水戸へ来てからもボヤイテいる。

別にお前の勝手だ。もしも、離婚してどうしても嫌で、心療内科(精神科)もやれないというならば、

本当に嫌で、獨協医大を医療訴訟で訴えて、気の済むようにしたければ、それは、もう勝手なんだ。

家族がオレを捨てた暁には、何やったて勝手。

ああキ*タマ切って捨ててしまっても勝手だ。

 主よ、医学部が大嫌いだ。

明日から大丈夫?

珍しく自信ねェーなー。

日本の法律はあまりにもおかしい。

キ*タマいらねェー。「男」になんて生まれなければよかった。

今日は、本当にアタマオカシイヨ、大丈夫?

獨協医大なんてなくなってしまえ!!!!!

早く死にたい!!!!!

何度思ったことか?

オレを愛する人はいない。

主よ、あなたは、わたしを愛されるというのであれば・・・・・

 けれども、主よ、あなたは言われる。

「わたしは、あなたを充分以上に愛している。

あなたの家族も愛している。

家族がバラバラになるのが、3人の子がテテナシ子になるのがわたしの「心」ではない。

けれども、わたしには、わたしのやり方があるんだ、理解しろ。

ヤクザ付きじゃ家族は帰って来れないだろう?

まずは、経済の建て直し、次いで、ヤクザとの縁切、

そして、家族が安心して帰って来られる環境を作るんだ。

なぜ、わたしに任せることができない。不信仰な者よ。」と。

「主よ、あなたの「順番」があるのですね。

今日知りました。sogoミレニアムセゾンゴールドカードが、

完全に”「復旧」した”ことを。」

 神には神のやり方があり、神の順番がある。

主は、言われる。

「sogoカードなぜ、繋いだか判るか?

将来の”「精神医療」のための”大事業のためだ。

「裸」になってはならぬのだ。

あなたは、聞いたことがあるはずだ。

あなたの妻が、涙ながらに地元に向けて”「船橋」行き”の嘆願をしたことを。

妻の気持ちを大切にせよ。」と。

       (追記)

今日は、火曜日。主とのお約束通り「戸籍謄本」を引き出した。

「変わりなし。」という結果。

けれども、主は言われる。

ずっと、この火曜日の約束事を守って行け。

あなたには、いずれ、その意味の判る日が来る。

東本先生へ

 「なぜ、わたしをちゃんと診断してくださらなかったので・・・・・」

途中で、ヤクザの邪魔が入ったので、手紙のあて先を変更します。

 

「主よ、お救い下さい。

なぜ、いつまでも黙っておられるのですか?

わたくしは、蘇我で開業医をするくらいなら、

むしろ、刑務所に行くことを望みます。

早く、刑事裁判にして下さい。

なぜ、東本先生は、ちゃんとして下さらないのですか?

日本の政治判断はサドの権化です。

 今日、弁護士さんと電話をしました。

離婚裁判についてです。

主よ、そのこと以上に、わたしはあなたに訴えます。

妻の自殺を”町ぐるみで隠した「町」”を。

将来を嘱望される医師だから

けれども、わたくしには、地獄です

医師なんて・・・・

早く医籍から取り除いて下さい。

アディクション(依存症)に引き戻す「力」に

あえぎながら、わたしは叫びます。

医者でさえなければ、こんなにシツコクされないものを・・・・

わが魂は叫びます。

 けれども、わたくしは、また知っているのです。

間もなく、水戸へ向かいますが、

かの地で、またしゃんとして「「精神科医」をすることを。

だから、すべてを御手(みて)に治められる主よ、わたくしの手の働きと、

わたくしの愛して止まない「家庭」を祝福して下さい。

母は、びっくりするほど元気になりました

食卓では母の「会話」が止まりません。

けれども、主は知っておいでになられます。

同時に、「分列盗聴器」よりヤクザ・ソウカの気持ち悪い「会話」を

「認知」させられて”います。

連中は言います。「「調停」をしないのだから仕方がない。」

けれども、わたくしは、逆に思います。

「けれどもオレは大したもんだよな。こんなにキ*タマ我慢できるのも、

中々いないヨ。」

けれどもまた、このこともまた、知っているのです。

すなわち、

「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」(ローマ人への手紙5章3~4節)

 だから、主よ、あなたに願うこと、 「ただ、ひたすら、「男」にして下さい。 ただ、ひたすら、雄々しく強いものとして下さい。 尊い主の御名(みな)によって祈ります。アーメン」

2009年4月12日 (日)

復活の喜び

「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分りが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」

      (新約聖書 ルカによる福音書 より)

 諭吉先生、一葉さん、英世くん。

若い英世君はどうしても軽んじられる「傾向」がある。

けれども、当の英世君は、諭吉先生を”「尊敬」している”。

なぜならば、先生の著書「学問のススメ」の出だし、その精神を尊敬しているからだ。

すなわち、

「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ、又人ノ下ニ人ヲ造ラズ」という

あの有名な出だしに表されている「精神」である。

 今日「分列盗聴器」より聞いた。

「インターネットでの、栄養療法を二度とやらせない。」

けれども、わたくしは、多くの精神的な難病に苦しむ患者さんのためにお願いしたい。

「二度と、”パワーハラスメントをしないでほしい”。」

 今朝少しばかり(?)”「不信仰」に陥った”。

もしも、パワーが、どうしても、精神医療をやらせないというのでられば、海外へ出て、途上国の医療のために尽くしたい。

それも、サセナイ(出国させない)というのであれば、「”自らの「命」をもって抗議をさせて頂きたい。」

けれども、それらはすべて不信仰、なぜならば、

”「神」は、あなた(=わたくし)の十字架は精神医療(である)とおっしゃている”からだ。

十字架が重いからといって、削るならば、

この世から”「神」の国”への大淵を渡すに足らず、「神」の国へ入るを得ず。

一方、坂道においては、主イエスに繋がる「命綱」を、主ご自身が引いて下さるのである。

上記は、今朝礼拝を守らせて頂いた”母の母教会(所属教会)での説教に用いられた「聖書」箇所である。

もしも、わたくしたち、クリスチャンが、”主の「復活」の事実を信じられないでいるならば、

上記の二人の弟子たちのように”「暗い顔」をしていなくてはならなくなる”のである。

 新約聖書の時代になって、西方教会(ローマカトリック教会)によって、ユダヤ教の”「過ぎ越しの祭りの日」から分けられた

”「復活祭(イースター)」。

その制定のいきさつは下記の如くである。

すなわち、春分の満月を過ぎた第1の安息日(日曜日)である。

”和風にいえば、「お彼岸」の満月を過ぎた、第1の日曜日となる。

 日照時間が、日没時間を、わずかに上回り、また”「月亮」もまた”、地を余すことなく照らす”「光の日」に”、

「光は闇の中で輝いている。闇は、これに勝たなかった。」(新約聖書 ヨハネによる福音書1章)を思い起こした。

2009年4月 4日 (土)

復活すべきもの・すべきでないもの

「墓の中に いと低く

葬られたり ああわが主

陰府(よみ)より帰り 死と悪魔に勝ちし

君こそ勝利の主なれ 君こそ真(まこと)の主なれ

誉(ほ)めよイェスを われらの神を

 封印固き 門(かど)破り 

出(い)で給(たま)えり ああわが主

陰府(よみ)より帰り 死と悪魔に勝ちし

君こそ勝利の主なれ 君こそ真(まこと)の主なれ

誉めよイェスを われらの神を

 番し続けし 兵の努力

空(むな)しかりき ああわが主

陰府(よみ)より帰り 死と悪魔に勝ちし

君こそ勝利の主なれ 君こそ真(まこと)の主なれ

誉めよイェスを われらの神を」

      (聖歌 「墓の中に」 全歌詞 )

 明日はイースター(復活際)。キリスト教では、十字架の上にて

「「全人類」」の罪を背負い、これを贖(あがな)われた、

神の独り子イエス=キリストが、父なる「神」によって”ご栄光を受け”、

甦(よみがえ)った記念日である。

「わたしは、甦りであり命である。わたしを信じる者は”死んでも生きる”。」(聖書)

けれども、決して”期待してはいけないこと”つまり、絶対に復活のあり得ないことがある。

つまり、<<わたくしが、蘇我へ帰って小児科の開業をすること>>である。

 「ごちそうと争いに満ちる家にいるよりは、青菜を食べても平和な家にいる方がいい。」

         (旧約聖書 箴言*:*)  

とは、”「「知恵」」を主に求めて”、主に喜ばれた第3代イスラエル王であるソロモンに、

父なる神さまが賜った知恵である。

同じように、この2-3日の間に、主がわたくしに賜った「「知恵」」がある。すなわち、

「不快な従業員といるよりは、”理解のある「上司」”といる方がずっといい。」

 大体そんなこと想像ができるだろうか。

クリニックに患者さんが訪れて、まずは迎える「受付」で、

事務職員や看護婦が、患者さんと一緒になって、

クリニックの院長を<<「無資格」である>>とソシルということを。

・・・突然ですが、ヤクザが言っている、「働け!!」

ハッキリ言ってお前らキチガイだ。

ハッキリ言って”失礼スギル「場所」”に帰らればならぬほど、

(悪いけれども)オレは落ちぶれていないヨ!!

ちゃんと人の下でも働ける。

 「不快な従業員と共にいるよりも、理解のある上司と共にいる方がずっといい。」

こんな風に思うのは、果たしてオレだけであろうか?

復活際を前に、改めて思わされました。

        (追記)

今日、廣瀬クリニックである患者さんを見せて頂いた。「膿」を伴う蜂か織炎を患われ、

皮膚科に紹介するためである。

診させて頂いた後、ことの外喜ばれたようで言っていた。

「いいドクターなのに。(あの先生が着ても)迷彩カッコいいのに。」

相棒が言っていた。「裏切ったんだ。そんなに甘くないぞ。」

けれども言いたい。ヤクザとは元々仲間ではない。

クリスチャンとヤクザ、水と油の関係だ。

つまり、「「相容れない関係」」である。

2009年4月 2日 (木)

怒るに遅く

「 神よ、あなたは慈しみ深く、真実な方。

怒るに遅く、すべてを治める憐れみ深い方。」

          (旧約聖書 知恵の書15:1)

 先ほど、あるところで食事をしてきた。

ボギ丼なる、鰹とアボガドを盛った簡単なハワイ料理を食べた。

結構待った。

血糖値は下がった。

アドレナリンが、いっぱい出て来るのを感じていた。

ボギ丼自体は旨かった。

変なスパイスがついた。

すなわち、”「無資格医」なるそしり”のスパイスである。

もしも、アドレナリンが、それほど出ていなければ、

それほどでもなかった”スパイスの「辛味」”は、結構強かった。

 レジで会計。実は一つ二つ言ってやろうかと、構えていた。

会計に対応の”女性の”ウエイトレスに、当該のレストランが手がける

「母の日用のカーネーション」を勧められた。

気軽に話しかけられて、思わず気軽に答えた。

「・・・・。でも、オレ千葉が実家だから、ここで勧められても・・・・。」

思わず気付いた。「えェー随分気楽に話しているな。」と。

すなわち、「男」が主語を「オレ」にしているときは、

結構気楽に話しているわけだ。

 話は変わるが、中東のイスラエル。周囲をアラブの敵国に囲まれた同国では、

少なくとも、近い過去までは、女性にも「兵役」があった。

小学校のときに読んでいた百科事典にそう書いてあった。

すなわち、周囲をアラブの敵国に囲まれたイスラエルでは、女性にも「兵役」を課している、と。

 周囲を常に、”そしりの「「輩」」”に囲まれて来たオレ。

けれども、その敵から解放されるときは近い。

主は、わたくしに、かく、言われた。

「そんなにカリカリしなさんな。怒るに遅くあれ。」と。

          (追記)

検索した番号は14038905602
(一般書留)です

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今までの経験で 家庭裁判所の場合は

無理はしないということを

知っているのです。
なぜならば、 それこそ、扱うことが、 「家庭問題」であるからです。

すなわち、 あまり、無理をすると、変な話、 ”ビタ一文の「「養育費」」も”、

出なくなる「可能性」が

あるからです。

        (追記2)

まず、今回の”「対ヤクザ戦」を始める前に”、主の託宣を求めています。

すなわち、主は、かく、言われた。

「あなた(=わたくし)は、今回の裁判で、ビタ一文失わない。家族の一人も失わない。

失うのは、”あの場所だけ”だ。」と。

2009年3月29日 (日)

依存、強迫、解離と、いわゆる「摂食障害」と言われるもの

「主の恵み語るは楽し 主はまことの友なれば

主はわがすべてを変えたり そは誰もなしあたわじ

主に比ぶる愛なく まことの友もなし

主の他(ほか)には救いはなし くすしき愛よ」   

      (聖歌 「主の恵み語るは楽し」より)

「わが後(あと)を踏みて 右や左に

迷い行くなかれ 道狭くとも

<<「十字架」を担い>> 天(あめ)を望みて

常世(とこよ)の朝まで われに従え」

      (聖歌 「主はガリラヤ湖の」 より)

 わたくしとって、担うべき十字架は何であろうか。

明週の安息日にイースター(復活際)を迎えるにあたって、一考した。

わたくしにとって、担うべき十字架はやはり、「「精神医療」」であろう。

今、あらためて、わが妻に問おう。「君にとって担うべき十字架は何であろう?

是非祈りのうちに考えてくれ。」

「もしも、その十字架が、オレの担うべき十字架と違ったならば、君との結婚を諦めよう。

但し、その時には、雄祐君を帰してくれ。彼は、アブラハムにとってのイサクであるからだ。

勿論、他の子ども達だって愛している。”おしゃまな”沙邪香ちゃんも、”快活な”恵祐君もみな愛している。

けれども、”雄祐君は、アブラハムにとってのイサクだ”。」

それは置いておいて、わたくしにとって担うべきなのは、「「精神医療」」なのだ。

依存と強迫と解離は、同じものを角度を変えて見ている。

”行動化”、極めて高いストレスレベルでの「”病的な”ストレス解消法」である。

 ある女性がいた。彼女は、もっとも、そのこと自体知らなかったが、自身が”「依存症家系」の出身”であった。

彼女は、成人して結婚をした。

ところが、また、その(相手の)彼も依存症家系の出身であった。いわゆるAC(アダルトチュルドレン)である。

その二人は結婚して、愛し合うだけでなく、お互いに相手に依存するようになった。

いわゆる<<共依存(人依存)>>である。

ところが、ある日、ある事柄(身内の死)によって、

それぞれが、別の物に強く依存をし始めた。

男性は自分の職業に。

女性は、食事である。

いわゆる「「摂食障害」」は、依存症の一つである。

そんなことは、精神科では

常識である。

さて、お互いにこのことが、実は、夫婦の危機を生み出すことを知らなかった二人に、

果たしてその危機が訪れ、

ただ”「娘」がかわいいばかりの人”が、

これをこの世の「調停」に持ち込んだ。

彼の心には”ただ「娘」がかわいい”、それだけであった。

 ところが、これが、不幸であった。

なにしろ、「「担当者」」が、

ハッキリ言って、

<<依存症に>>は、全くの「「無知」」であったからだ。

(依存症に対して)”「学識」「経験」共に皆無であったわけだ”。

もっと分かり易く言えば、彼らを調停するには”ふさわしくない”方たちであったわけである。

夫が、千葉大の産婦人科の教授。その「「産婦人科」」が”何となくニオワセル”。

これが、ただの「猜疑心」というのであれば、

今、千葉市の”「蘇我地区」で中々解除に及ばない”不正な”「政府管掌事業」と、それに”苦しむ

「正義漢医師」の物語は、

後の日に再評価され、その彼は、後の日に”「内村鑑三」ばり”のキリスト者として、

「「映画化」」されると、主なる「神」さまは、言われるわけである。

 さて、結論である。

この世では今、「裁判員」制度が導入されようとしている。

が、わたくしは、この世に、あらためて、大きな<提言>をしたい。

およそ医療の世界において、「「専門」」が叫ばれる中、

司法の世界になぜ、”「素人」を導入しようとする”のか。

これこそが、愚かなヤクザをして、

一医師の”「尊厳」を非常に傷付けるに至った”ある意味「”偏屈な”価値観」と

”<密接に>関連している”と言えよう。

わたくしが、言いたいのは”専門知識が必要な「裁判」”では、

裁判員の参加は”「疑問」である”ということだ。

     (追記)

分列盗聴器より”「認知」する”。

「さすが医学部だ。「もし(お前が)女性だったら素直に支払おう・・・」と言っている。」

けれども、わたくしは、世に”「認知」して頂きましょう”。

すなわち、独協医科大学入学の面接試験に於いて言わせて頂いた。

「どんな医者になりたいのかね。」

「海外の途上国で、医療のお手伝いをしたい。

開業医にだけは、なりたくないです。」

面接官は、小西先生、故古閑先生、そして、下先生の3人であったと思います。

    (追記2)

「では、何で開業医になった?」

「病気を”「誤診」された”ことと、深く関係しています。」

2009年3月26日 (木)

「「心療内科」」と宗教の意義

「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。

命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 」

   (新約聖書 マタイによる福音書6章より) 

「イエスは群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。

そこでイエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

「こころ貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちはさいわいである、彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害された人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽りの様々な悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味を取りもどせようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつれられるだけである。
あなたがたは、世の光である、。山の上にある町は隠れることができない。
また、あかりをつけて、それを升の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝やかし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

   (新約聖書マタイによる福音書5章より)

 「本日、あるところで、ヤクザが言っていた。

「教育の有難(ありがた)さだよな。カッコいいよな、ネクタイしねェーんだもん。」

珍(めずら)しく耳にしたヤクザの本音である。

もっと、楽に生きればいいのに。

人を羨(うらや)むよりも、羨まれる生き方をすればいいのに。

ハッキリ言おう。そんな”稼業”は辞めればいいのに。

真っ当に働けばいいのに。

それでないと、食べられない?

なぜ、真っ当に働けないんだよ。

 匠の「「残党」」に告ぐ。

無駄な事に時間を使うな。

働き口を見つけろよ。

見つからないなら「「自分を磨けよ」」。

大木に告ぐ、将来、孫にどんな”顔向け”をするんだ。

どうやって、”大人の正しさを証明するんだ”。 

 世界宗教会議。毎年一度、どこかの都市で催される。

今朝のデヴォーションの際に、主に、”祈らされた”祈りで、

口に上らされた「単語」である。

実は、分列盗聴器より”「認知」させられた”。

「ある坊さんが言っていた。(彼は)自分の立場を超えている。」

果たしてそうだろうか?

宗教の存在意義というものを、考えさせられ、そのために祈らされた。

わたくしたちキリスト教徒では、”人の「命」”は、直線である。

これに対して考えるならば、仏教のそれは、”円(circle)”である。

つまり、どういうことか。

わたくしたちの考え方には、およそ、”人の「命」”というものに、

いわゆる「「輪廻転生」」といった考え方はない。

つまり、前世が、良かったから「人」、現世が悪いから、”来世はブタになる”といった考え方はないのである。

つまり、今生きているその人生(一回切り)によって、”人は「神」の裁きを受ける”のである。

つまり、今生きている人生にあって、真っ当に生きることか、或いは、神の救いに預かり、

その後の人生を真っ当に生きることができた人は、

「神」の御国(みくに)に入って、「神」と共に憩い、

そうでない人は、いわゆる「「地獄」」(ゲヘナ)に行き、

その炎に”焼かれ続ける”のである。

「ある金持ちがいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、ラザロという貧しい人が全身にでき物でおおわれて、この金持ちの玄関の前にすわり、

その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。

この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持ちも死んで葬られた。そして黄泉(よみ)にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。

そこで声をあげて言った『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。

アブラハムが言った、『子よ、思い出すよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵があって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。

そこで金持ちが言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしの五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。

アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。金持ちが言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。

アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

    (新約聖書 ルカによる福音書16:19-31)

 心療内科を標榜する廣瀬クリニックに、そのデイケアーに用いるために、置かれている多くの書籍。

その中には、仏教に関わる物もあるけれども、

星野富広さんの著書「鈴の鳴る道」を始め、多くのキリスト教関連の書籍も置いてある。

<<人の「心」の健康>>に、(ある意味で)”「宗教」は切っても切れない”ものがある。

わたくし自身、今、”「離婚問題」を始め”多くの”「心的」な課題を抱えている”。

その中で、本日、とても大切なものを見出した。

「「自分の”使命に”しっかりと生きること」」

このことが、己の人生に”「命」を与え”、

自身を二本足でしっかりと、立たせるのだ。

        (追記)

オレは、”冠婚葬祭”(等)どうしても必要なときを除き、

”「「金輪際」」ネクタイを”シナイ。

また、女房と”「離婚」になったならば”、

”「「金輪際」」女とセックスを”シナイ。

判らないのか、これでも、

”「鈍感」な千葉市民”。

「「「女房以外の女は愛せない」」」ということだ。

        (追記2)

なぜ、与党自民党を始め、この世で”「力」のある”者は、

<<潔(いさぎよ)く>>責任を取ろうとしない。

一国民を”これだけ傷付けながら、

責任を取ろうとしないような「為政者」たちは、

大体”「国政」与(あずか)る<<資格>>”が、

それこそナイよ、

こんな風に思うのはわたくしだけであろうか?

「「”国民の皆さんに”問いたい。」」

    (追記3)

廣瀬先生紹介の水戸の弁護士さんは、

それこそプロである。

その先生が言っていた。

競売請求者の”取り分のないような

「競売請求」”は、

差し戻しになる。」と。

     (追記4)

ユウキ蘇我駅前ビルの

旧松山内科小児科クリニック

のあった「「空間」」について、

「「①彼ら弁護士は、訴訟を取り下げた。

②にも関わらず、大木は工事をした。

③置いてあった荷物が、1万3千円で競売りされた。」」

その”「意味」するところ”は、

「「担当弁護士が、契約金を返還して、

彼らの”「代理人」の立場”を降りてしまった、

ということである。

自分たち(二人)の”「名誉」のため”である。

最も、”「相談」ぐらいには”、

ノッテイルだろうが。


        


                       

2009年3月13日 (金)

主の”ますらお”

「雄雄しくあれ 強くあれ 少年たちよ

神さまは いつだって 共におられる

われらを倒して 負かす者はない

ただ雄雄しくあれ 強くあれ 強くあれ

 雄雄しくあれ 強くあれ 少年たちよ

神さまの 誓われた 約束の地は

正しい信仰だ 聖(きよ)い行いだ

ただ雄雄しくあれ 強くあれ 強くあれ」

    (子ども賛美歌 「雄雄しくあれ」より抜粋)

 わたくしの長男の名は雄祐(ゆうすけ)という。

呼んで字の如く”「神」のたすけ”で”、

”雄雄しく(強く)あってほしい”という願いが込められている。

近くでは、ダイサク男や、ダイサク女たちが、「調停をしたクセに」と揶揄(やゆ)している。

けれども、オレは誓って言おう。

(もっとも、女房と結婚後はずっと、「「貞操」」を守って来たのであるが)

「オレは、一生涯、女房以外の女と決してセックスをしない。

(クリスチャンの誇りにかけて)」

ということは、どうなるのか。性的な処理は、女房が生きている限りオナニーで、

ということになるわけである。(それしかないじゃん。キ*タマあるし、生きているんだから。)

 それはさておき、女房と同居の8年間、性交渉は実に15回未満。

散々断られ続けて来たわけだ。

それで、(ある意味)”自分で慰めること”には慣れているわけである。

最も、同居中はトイレで<<隠れて>>コソコソやるしかなかった。

なぜって、女房と子ども3人との同居だから。

けれども、トイレで「子種」を流す度に、実は深く傷ついていた。

「家計をちゃんと入れる”いい年の”男が、

なぜ、こんなことをしなければならないのか。」と。

時に、女房に、「何やっていたの?」と聞かれたこともあったが、

「言えるか?」子どもの前で。

けれども、所属教会の牧師(当時)には、相談したことがある。

「そういうことであると、”あなたが「罪」を犯すことになる”ので、奥さんのお母さんに相談するように。」

当時の粂川牧師の答えであった。

そっと、妻の実家を訪ねた。

折から。岳母は不在。岳父が対応した。

最初は黙っていた。

岳父が、不審に思ったのか、”問い正された”ので、

(「男」であるから、かえって、分かってもらえるかも知れない?)(と思い)

思い切って打ち明けた。(当時、それ程にも岳父とは、実は、”仲が良かった”のである。)

(けれども、”一般的には”マズカロウ事であったかも知れない。)

その日を境に、岳父とは仲が悪くなった。

 さて、今朝のデヴォーションでは、伝道の書(コヘレトの言葉)を読んだ。

「誓ったことは、必ず果たさなければならない。」とあった。

「汝、この女を妻とし、富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも、

これを愛し、これを敬い、命ある日の限り固く節操を守ることを誓うか?」

キリスト教式の結婚式に、何度か参加したことがある方なら、耳にしたはずの言葉である。

主は、かく言われた。「たとえ、あなたたち人間が弱く、誓いを果たし得ないとしても、

わたしは必ず誓いを果たすと。」

 「三つ縒(よ)りの糸はた易く切れない。」(旧約聖書 コヘレトの言葉*:*)

三つ縒りの糸とは、夫、妻、そして”「主」なる神さま”である。

そして、誰よりも、お強い「神」さまは、言われるわけである。

「たとえ、あなた方人間が弱く、誓いを果たし得なくとも、わたしは必ず誓いを果たすと。」

ところで、今朝の祈りの時に、主の前に申し上げた。

「キンタマ傷つけられました。」

けれども、主は、かく、答えられた。

「されば、キ*タマに生きよ。主の”ますらお”として生きよ。」と。

2009年2月17日 (火)

幸せな母ー息子(おやこ)関係ーーー”「魂」を生かす”人

「わたしはあなたがたに立てている計画をよく心に留めている。

それは、災いではなく、平和の計画である。

将来と希望を与えるものである。」

               (旧約聖書 イザヤ書 より)

 この聖句については、いままでのブログにても度々紹介させて頂いている。

ただ、今までの紹介では、最後の部分、すなわち、「将来と希望を与えるものである」が抜け落ちて紹介されていたということと、

同時にこの部分が実は大変大切な部分であることを

つい最近気付かされたというのがある。

今週日曜の水戸キリスト教会での牧師先生の説教の中で、

この聖句が、お話の中で出てきて気付かされたわけである。

 確かに、聖書においては、「「夫婦関係」」が親子関係よりも”「優先」ではある”。

けれども、そこがまた、正に「「「神」の知恵」」。

<<”親子関係の「回復」”ないままでの”夫婦関係の関係の「回復」”は>>、

(わたくしのことに限らず)非常に難しい。

このことを、それこそ、よくご存知の「神」さま。

正に、”「神」さまには、「神」さまのやり方がお有りになる”のだなと思わされています。

改めて”親子関係回復の「幸せ」をかみしめる”共に、

おおいなる感謝を、まず神に、

そしてAC(アダルトチュルドレン)についての学びの場を

わたくしに提供して下さり、ご指導下さった廣瀬先生に

この場をお借りして感謝を申し上げたい、そんな気持ちでいっぱいです。

すなわち、「「「分裂病」を誤診することにより」」

独協が”「「徹底的」」に「破壊」してしまった「「「親子」」」関係”を

廣瀬先生のところで、”完全に「「回復」」させて頂いた”喜びでいっぱいなわけである。

独協は”破壊し”、廣瀬先生は回復させて下さった。

(少なくとも)結果論から見るならば、

正に”「事実」中の「事実」”で、

”うわさ”にあるような「廣瀬先生謝罪予定」は、

ハッキリ言って、「青天の霹靂」。

独協にこそ、それこそ、土下座する位の気持ちで、

「世」に、そして、わたくしの家族一人一人に謝罪をして欲しいと思うわけである。

なぜならば、独協がちゃんと診断すれば、母親が医学部を強制することもなかったし、

「「「親子」」」という”壊れれば<<大変悲しい>>”

人間関係の「「破壊」」が、起こらなかったわけであるからである。

それであるから、独協医大には、猛省をして欲しいし、

専門性を盾にした”誤診の「「モミ消し」」による”

「「保身」」を図ることにより、

わたくしも含めて”多くの人を傷つけた”ことを

真摯に受け止めて謝罪をして欲しい、

これが、わたくしの今の思いである。

自分の「師」のなさることに、”さしでがましくしてはならない”とは思いつつも

こう思うのである。

独協が破壊した親子関係を回復させて下さった立役者は

それこそ、廣瀬先生であるからだ。

 昨日、Sごう千葉店の「牛兵衛」なる焼肉店で、母と夕食を共にした。

ヤクザどもが、うじゃうじゃ入ってきて、会食の気分を”ブッコワソウトシタ”というのはあるが、

わたくしは、(大変「幸」にも)その中で、

自分の母が、正に”「母」である”という確認をするに至った。

すなわち、独協が、誤診をした故に、わたくしがいくら一生懸命やっていても、邪魔をされて、嫌な思いをさせられているということに対して、

母は”「「否定」」をせず”、

”「神」さまはちゃんと見ているから”と励ましてくれたのである。

その場で母に言った「今日のこと覚えていてね」というわたくしの言葉に対して、

(母は)「うん、覚えておく。」とハッキリと言ってくれたわけである。

 最後に、最近母が言ってくれたことで、大変嬉しかったことを一つここに紹介したい。

実は、この前、船橋のある古着屋さんで、一本の迷彩パンツを買った。

柄的には、ウッドランドと呼ばれるものに入るかと思う。

最近気付いたのは、その一本が、(ディテールから察するに、)

本格的な”「軍パン」下がり”であることであるが、

自分が穿いてみての特徴は、ズバリ、

すらっと長脚に見えることだった。(こういったズボンのシルエットとしては珍しいものかとも思うが。)

その迷彩パンツ(をわたくしが穿いている姿)について、母が”カッコいい”と言ってくれたのだ。

わたくしは、このことにおいて、母が、わたくしのことを

一人の”人格を持った「人間」”として認めてくれたと感じたのである。

自分の”人格を「否定」し続ける”ヤクザと地域社会。

それに対するかのように、自分の”人格を「肯定」”してくれた”生みの「母」”。

<<”幸せな”親子関係の「回復」>>の場を与えて下さった主なる「神」さまと、

廣瀬先生にあらためて”「心」からの”感謝を申し上げつつ、

本日のブログを閉じさせて頂きたく存じます。

2009年2月 7日 (土)

天軍賛歌

「栄光 栄光 イェスにあれ

栄光 栄光 イェスにあれ

御座(みざ)にいます 子羊よ

ほむべきお方 あなたは統べ治める

永久(とわ)に 正義を もって」

      (ワーシップ・ソング「栄光 栄光 イェスにあれ」より)

 わたくしは、かく言おう。 いきなりに。

「例え、そのことにおいて”「離婚」を迫られたとしても”、

わたしは<<ネクタイを「選択」しない>>。

先ほどよりヤクザの嫌がらせが”命いっぱい続いている”が、

オレは、「「ネクタイ」と「蘇我」と「小児科」の選択」をしない。

また、いきなりではあるが、この頃、というよりは、ここ数年、

自身のキ*タマが若返り、朝”元気”なときがある。

けれども、わたくしは自分では”「離婚」は選択しない”。

なぜならば、”「神」さまとの約束が”あるから。

わたくしは、「神」を愛している。

それは、「神」がまず、わたくしを愛して下さったから。

 最近まったく変わった過去の恐れ。

すなわち、子ども3人いて、バツイチならぬバツヨンになってしまうこと。

「神」との約束がある。であるから”男性としての「快楽」も”求めない。

それでは、キ*タマに何の意味があるのかとは、思わない。

「神」の恵みによって、”「男」の中の「男」”になっている。

これで十分。

つまり、自分が男であることを、そのこと自体を

”「心から」喜んでいる”のである。

男であるから、子に対する「責任」は必ず果たす。

例え、「別姓」になったとしても。

「男冥利」とはこのようなものかとも思うし、

キ*タマついている喜びもまた、ここにあり、といったところであろう。

 主よ、あなたにはできます。

「私を益々男らしい者としてください。

限りなく喜んでいます。

男に生まれついたことを。

限りなく喜んでいます。

自分の子が3人いることを。

わたくしはまた、「姦淫」を憎んでいます。

正しく報いて下さい。”「姦淫」の街”に。

もしも、この国にあったのでしたら正しく裁いて下さい、

「「ソドム」」と、「「ゴモラ」」とを。

 ”「「神」の栄光」が”讃えられますように。

ああ、「「神」の栄光」の・み・が”、讃えられますように。

この国においても、「「神」のご栄光」”のみ”、が讃えられますように。

そのために、主よ、”キリストにある「男」の姿”を益々輝かせてください。

<<御名(みな)のご栄光のために>>。

「「いと高きところには栄光

神にあれ

地には平和

御心(みこころ)適(かな)う人すべてにあれ」

          ( 「天軍賛歌」  より)  

      (追記)

最近気付かされていることが一つある。

「心療内科」とは、実は、”「(臨床の)実力」を”とても必要とする「科目」であることを。

それは、”純な「精神科」をしのぐ”ものであることを。

つまり、”「除外診断」あるいは「鑑別診断」ということにおいて”である。

つまり、”身体的な疾患も十分知っていなければ”できないということである。

尚、自民党は企てているようである、

すなわち、6歳未満は小児科でなければ診ることができないように。

これは、実は、逆に言うと小児科医不足のために、6歳以上については、内科医に診させようという”政策”である。

けれども、小生の将来的に、「心療内科医」になるということは、

過去の経験のすべてを”「活きた」ものとする”ということになる、ということだ。

「神」のなさることには、一切のムダがないことを思うならば、

「心療内科医」は、

まったくもって自分の”「天職」であろう。 

    

2009年2月 3日 (火)

東夷西胡南蛮北奴ーーー日本のSS隊員

「「アリス=ミラー著  魂の殺人より」」

「同じような動物の価値を認める考え方はハインリッヒ・ヒムラーにもありました。

彼はたとえば、こんなことを言っています。

いったいどういうわけで、憐れな動物たちをわなにかけて射ち殺したりするのが面白いとおっしゃるのか私にはわかりませんね、ケルンステンさん、

動物は悪いことをしたわけじゃなし、自分で身を護ることもできない存在じゃありませんか。そういう者が何も知らずに森のはずれで餌を食べている、それをどうして殺したりできるんです。本当のところ、狩なんていうものは、殺人と同じなんだ・・・・・自然はこれほど素晴らしいものだし、それに、どんな動物にだって生きる権利はあるはずじゃありませんか。

                            (J・フェスト、一九六三年 一六九頁)

そしてその同じヒムラーがこうも語るのです。

「SS隊員は皆一つの原則に徹底して忠実でなければならない、我々は我々と同じ血を分かつ同胞に対してそして同胞のみに誠実で、礼儀正しく、忠実かつ友好的でなければならないというのが、それである。

ロシア人がどうなろうと、チェコ人がどうなろうと、私にはどうでもよい。

<<そのような異民族にも我々のよき血につながるものがもしあるとすれば、必要に応じてその民族から子どもを奪い、我々の下で育てるというやり方でそれをわれわれの手に入れればよろしい。>>

他民族がよい暮らしをしていようが飢餓に苦しんでいようが、その民族が我々の文化の奴隷として必要であればまあ多少の考慮はしようが、そうでなければまったくそんなことはどうでもよろしい。

塹壕を掘らされていたロシアの女が一万人も栄養不良になって倒れようと倒れまいと、

ドイツ軍のための塹壕が完成すればそれでよろしい。むろん我々はそうする必要のないところで残酷だったり思いやりがなかったりすることはない、それは当然である。

我々ドイツ人は、世界で唯一、動物に対する正しい理解を持つ国民であるから、

これらの「「人間獣」」に対しても正しい暖かい取り扱いをするであろう。

けれども、その連中のことを心配したり、その連中に理想を与えようなどとするのは、我々自身の血に対する犯罪行為と言うべきである・・・・・  (同書、一六一頁以下)。

 SS隊員と言うのは何か。ヒトラーが作った”若き「親衛隊」”のことである。

ヒトラーに追従し、残虐行為の幇助を成した「側近」たち。

その”「側近」への「登竜門」”がSS隊員で、当時のドイツにおいて「若者たちの「あこがれ」」であったという。

わたくしは、本日あらためて、この国の将来にとって大変”由々しき「事態」”を、

多くの方にお知らせしなければならない。

以前のブログにも度々書かせて頂いてきた「「ダイサク軍団親衛隊」」、

正に、”「現時点」において”、わが国のSS隊員である。

彼らの特徴は、”「権力」の成すことに何一つ疑問を持たない、否。持ってはナラナイ”と

「「タタキコマレテイル」」ことである。

「先輩は絶対。年長者は絶対。」これが正にそれである。

「こうでなければならない。”絶対に”ネクタイをしなければならない。」

正に”「「軍隊」」そのもの”であるが、

こういった教育は、いわゆる「闇教育」とアリス=ミラーが、呼んでいるもので、

”DVから戦争における残虐行為に至るまでの暴力に”繋がって行くものである。

 「闇教育」は、ものごころつかぬうちには、多くの場合は両親から、ものごころついてからは、教師によって受けるのが大半である。

そして、これは、”子どもたちの「個性」”を否定し、且つ奪うものである。

つまり、判り易く言えば、

「「自分らしく生きてはならない」」という”愚かな「命令」”であり、

また、こういった「闇教育」にドップリつかって来た者たちには、

”「結局」は”、<<自分がないために>>「ヒトラーやポトや池田」といった

”自分に「「命令を与えてくれる」」リーダーが必要”で、

リーダーの成すことがどんなことであったとしても、疑問を持つことがない。

それはそうである。「「自分がナイのであるから。」」

例えば、「「迷彩パンツ」」が好き。一つの「個性」であろう。

その人に、何が何でも、また、いつ何時であっても、

”「「ネクタイ」」着用を強制する”ことは、それそのものが、一つの「「暴力」」であるし、

ちゃんとした”「医師」の資格保持者”の”「診療科目」に制限を加える”といったこともまた、

”立派な「暴力」”であるわけであるが、

「闇教育」をドップリと受け、それを”当然のこととして”生きている者たち、

(実は、彼らは、気付いてはいないのであるが、その実、彼らは、”生ける「屍」”であるわけであるが)

こういった者たちにとっては、自由なファッションや、”「職業選択」の自由”など、

とんでもない話であるし、考えてもならない話で、

それこそ、”「個人」は、社会のために存在するもの”であるし、

”「社会」が個人に優先されなければならない”、

更には、”個人は社会のためには「「犠牲になるべき」」である”という考え方に立つわけである。

 実は、先ほど、あるところで言わせて頂いた。

”人というのは、自分の弱さが(自分で)認められて一人前なのだ”と。

ハッキリ言おう。ダイサク軍団は、”「「ナチス」」と同じ価値観を持っていて”

”非常に「危険」”である。

彼らにとっては、”「日本民族」がもっとも優れていて、その「価値観」が絶対である”。

が、世界にはいろんな民族がいて、色々な「価値観」がある。

”他の「価値観」の存在を認めないという「考え方」”は、実は、

「「危険極まりのない」」ものなのである。

わたくしが、このように「警告」をするのは、実は、

「「分列盗聴器」」より、下記のごとき声をしばしば聞かされるからである。

すなわち、「外国人に判らせなければならない、「「順番」」を。

そして、先輩に言い逆らうとどうなるか、思い知らせなければならない。」という声を、である。

 「東夷西胡南蛮北奴」これは、極簡単に言えば、

「ひがしの野蛮人、にしの野蛮人、みなみの野蛮人、きたの野蛮人」である。

”「征夷大将軍」について”は、多くの方がご存知かと思うが、「鎌倉」「室町」そして「江戸」の三幕府の将軍のことを言う。

どういう意味か。”「ひがしの野蛮人を征服するために」(天皇から)任命された「将軍」”という意味であるが、

この東夷の「夷」は、具体的には「「蝦夷」」すなわち、アイヌ民族を指すと言われる。

日本人よ。しっかりと”目覚めるべき”である。

聖書には、かくある。

「お互いに、相手を自分よりも優れたものであると思い、仕え合いなさい。」

もしも、この「精神」と、全く逆の思いをもってするならば

PKOなどやらぬ方がよい。

こんな風に思うのは、「非国民」であろうか?

今後の日本の”「精神面」の豊かさ”を願って止まない

一精神科医の「老婆心」かも知れません。

2009年1月29日 (木)

夫婦善哉

「聖(きよ)い文(ふみ)は教える

神が人となられて人のために救いの

道を成就したこと

わたしをも愛して

死なれたお方は

神の子のイェス様

ひとりだけだ

 そんな愛を知らずに

道に逸(そ)れたわたしを

とがめだてもせず主は

迎え入れて下さる

わたしをも愛して

死なれたお方は

神の子のイェス様

ひとりだけだ

 神の前に行くとき

歌う一つ覚えの

歌はイェスがわたしを

愛し給(たも)うそのこと

わたしをも愛して

死なれたお方は

神の子のイェス様

ひとりだけだ」

       (聖歌 「聖(きよ)いふみは教える」全歌詞 )

 今日の朝から思わされていることが一つある。

わが師なる廣瀬先生のモットーとすることではないかと思うことである。

すなわち何か。

「(患者さん)一人一人に自分の人生をしっかりとつかんで行って欲しい」

これではなかろうか、と思うわけである。

弟子は「師」以上にはなれないとはまた、聖書の言葉ではあるが、

自分の「師」のモットーを知るということは、大変大切なことであろう。

昨日、千葉市内で乗車の千葉中央バス、”「耳しいのコブラ」の刻印が額に押された”ソウカの分列間者の言う

わが師の悪口に、自分の事以上に、”「無性に」腹が立った”。

「廣瀬先生も明るい性格ならば、自閉症にならなかっただろうに。」

けれども、明らかにに”おかしな「中傷」”ではある。

もしも、それを強いて正しい文章(?)にしようとするならば、「自閉症」ではなくて、

「自閉的な状態」としか入れようがない。

つまり、自閉症とは、先天的なもの(生下時からのもの)であるからである。

もっとも、わが先生が、そういったことを果たしておっしゃられたかどうか?

ただ、「自閉的な状態に陥ったことがある」とは聞いたことがある「「ような」」気もする。

いずれにしても、<<ダイサク軍団は医療に関しては、ハッキリ言ってド素人>>。

医療問題について、こと、資格問題になど、到底”言い及ぶ「資格」もない”はずである。

「わたしは創価学会の名をその”高慢さ”ゆえに「「天からも地からも」」消し去る」とは、

わが主なる「神」さまが、わたくしに散々言って聞かせて下さっていることである。

彼らは言う。「あんなのタダのアディクション(依存症)なんだから・・・」

けれども、ことに最近下記に気付いた。

アディクションは、実は、”大変シビアな(厳しい)「病態」像”をとることがある。

アルコール依存症のの専門家である廣瀬先生がよくおっしゃられること。

「「アルコール依存」に陥ると、頭が完全にやられる。」

また、「”「依存」による影響”が、その精神構造に深く入り込む。」とも。

 アディクションによる精神構造の変化は、”当該の「大酒者」”から下の世代に及んで行く。

それは、たとえ、アルコールを一滴も口にしないものであっても伝播し、

その者は、いわゆる「ドライドリンカー」と呼ばれる者になる。

アディクション(依存症)は、しばしば、その対象を変える、というよりは、複数の依存の対象を取り得る。

買い物依存、摂食障害、ギャンブル依存などなど”「依存」の対象は”、多岐にわたる。

しかし、依存に落ちいているとき、確かに頭がおかしくなっていることはまた、わたくし自身が”「苦い」体験”を持つところでもある。

平成16年10月から12月。ひどい依存状態にあった「わたくし」。

当時、千葉市中央区仁戸名町にある「松山医院」から蘇我町の自宅に帰って、

夕刻の窓明かりを目にして。

<<やっぱり、完全に「「病気」」であったかと思う。>>

「また付いているよ。」(思い出すとやはり悲しい)

妻が出て行ってしまった後で、

冷蔵庫のなかに、”手作りのショートケーキ”を見つけて食べて、

それでいてなかなか気付かない”鈍感さ”。

つまり、妻が、”「娘」の誕生日”のために”「愛」を込めて作った”「「誕生ケーキ」」であったことを・・・

ああ、苦しい。

けれども、主なる「神」さまは、言われる。

「わたしは、すべてを「「用いる」」。」と。

 それであるから、前を向いて歩んで行ける。

主は、わが「「家族」」と共にあり。

インマヌエル(神、われらと共にありの「意」)。

そのおおいなる御翼(みつばさ)。

インマヌエルなる神、われらと共にあり。

そのおおいなる御翼は、わが家族を覆う。

「神」は、わたくしたち家族を、その御瞳(みひとみ)の中に隠して守られる。

わたしは、大いなる御名(みな)を心から賛美する。

賛美をささげ、「神」のくにの”「門内」に入る”。

ヤクザは諦(あきら)めよ。

神は、”ゴーマンな「調停」”を粉砕し、”真実なる「さばき」”を行う。

「神」の「さばき」は、”「真実で」偽りがない”。

それ故に、今から間もなく、程なくして”大木は「裸」になる”。

ダイサクも”「丸裸」にされる”。

神はダイサクの”「恥部」をあらわにされる”。

公明党は、次回の選挙で”「大敗」する”。--主の御告げ

「わたしは、創価学会の名をその高慢さ故に、天からも地からも消し去る」と

主は言われる。

彼らが、「神」を侮辱し、「神」に帰するべき栄光を、”耳しいの「ケダモノ」に”帰したからだ。

主は言われる。大いに呪われるがいい、創価学会。

お前は、天にも上るとでも思っているのか。

地獄の底に落とされ、”「ハデス」の炎で”焼かれるのだ。

聖なる「結婚」を踏みにじり、彼らの「「回復」」のチャンスを奪い取ろうとしたからだ。

けれども、主は、笑われる。

彼らの”聖なる「結婚」”に、

<<わたしは「復活」を与える>>と、主は言われる。

 十八年越しの”家庭の「復活」”を見た家族がいる。

夫の名は、愛覚羅新溥傑。

満州国皇帝、清朝のラストエンペラー愛覚羅新溥儀氏の実弟である。

彼の愛した妻は、「嵯峨 浩(ひろ)」

という名の日本人女性。

北京の病院で息を引き取った彼女の手を取り、

「ヒロさん、ヒロさん」と泣き続けたと言う。 

「われらの国籍は天にあり」(聖書)

間もなく、「神」は真実をなされる。

家庭の「「復活」」という真実をもって。

”””インマヌエルなる神、われらと共にあり。

そのおおいなる御翼は、わが家族を覆い。

「神」は、わたくしたち家族を、その御瞳(みひとみ)の中に隠して守られる。

わたしは、大いなる御名(みな)を心から賛美する。

賛美をささげ、「神」のくにの”「門内」に入る”。

ヤクザは諦(あきら)めよ。

神は、”ゴーマンな「調停」”を粉砕し、”真実なる「さばき」”を行う。

「神」のさばきは、”「真実で」偽りがない”。

それ故に、今から間もなく、程なくして”「大木」は「裸」になる”。

ダイサクも”「丸裸」にされる”。

神はダイサクの”「恥部」をあらわにされる”。

公明党は、次回の選挙で”「大敗」する”。--主の御告げ

「わたしは、創価学会の名をその高慢さ故に、天からも地からも消し去る」と

主は言われる。

彼らが、「神」を侮辱し、「神」に帰するべき栄光を、”耳しいの「ケダモノ」に”帰したからだ。

主は言われる。大いに呪われるがいい、創価学会。

お前は、天にも上るとでも思っているのか。

地獄の底に落とされ、”「ハデス」の炎で”焼かれるのだ。

聖なる「結婚」を踏みにじり、彼らの「「回復」」のチャンスを奪い取ろうとしたからだ。

けれども、主は、笑われる。

彼らの”聖なる「結婚」”に、

<<わたしは「復活」を与える>>と、主は言われる。

 十八年越しの”家庭の「復活」”を見た家族がいる。

夫の名は、愛覚羅新溥傑。

満州国皇帝、清朝のラストエンペラー愛覚羅新溥儀氏の実弟である。

彼の愛した妻は、「嵯峨 浩(ひろ)」

という名の日本人女性。

北京の病院で息を引き取った彼女の手を取り、

「ヒロさん、ヒロさん」と泣き続けたと言う。 

「われらの国籍は天にあり」(聖書)

間もなく、「神」は真実をなされる。

家庭の「「復活」」という真実をもって。

2009年1月17日 (土)

奇跡を呼ぶ男

「その後、イエスは、ガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大勢の人の群れがイエスにつき従っていた。

それは、イエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

REPEAT REPEAT REPEAT REPEAT REPEAT REPEAT REPEAT REPEAT REPEAT

「その後、イエスは、ガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大勢の人の群れがイエスにつき従っていた。

それは、イエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過ぎ越しが間近になっていた。

イエスは目を上げて、大勢の人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」

もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。

イエスは、ご自分では、しようとしておられることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパン五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大勢の人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」

「「「その場所には草が多かった。」」」

そこで男たちはすわった。その数は、およそ五千人であった。

そこでイエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。

また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。

「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。

すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」と言った。

そこで、イエスは人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。」

              (新約聖書 ヨハネによる福音書6:1-15)

 本日のデヴォーションの聖書箇所である。

本日心に留まった御言葉(みことば)は、特に、上記のうち、イエスが、弟子たちに人々にすわせるように命じた箇所に続く御言葉(みことば)「その場所には草が多かった。」である。

つまり、どういうことか、主イエスが奇跡を行われるときには、きちんと、場所を選ばれること。

同時にいつも、人のことを考えられているということである。

当時も、また今も、そうであろうが、イスラエルの荒野というのは、それこそ、大きな石がゴロゴロしていて、とても、大勢の人が一度にすわれたもんじゃないということである。

多くの人が”「奇跡」の恩恵”を受けられるように、聖書でも有名な主イエスによる”「五千人の給食」の奇跡”は、かような場所を選んで行われたのである。

さて、もう一箇所、今日の箇所で、心に留まったところがある。

すなわち、最後の15節。「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやり連れて行こうとしているのを知って・・・」である。

御言葉の自身への適用ということで言えばこうである。

すなわち、”ヤクザや「千葉市民」を始め欲にかられた人々”が、わたくしを、ゴーマンションならびにゴーマンな分列事業の協力医とするために、むりやり連れて行こうと・・・」となるわけである。

しかし、ここで大事なことがある。

聖書本文中にある「「そこで」」という言葉である。

すなわち、「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って・・・」の、冒頭の「「そこで」」である。

この「「そこで」」とは、一体何を指しているのか。

その前にある段落全体、すなわち、具体的に言うならば、

「五つの大麦のパンと二匹の魚で、五千人もの人々に満腹させるのみならず、余らせては、パン切れで、十二のかごを一杯にしたという「「奇跡」」(によって、心動かしてコレコレシカジカと言ったということ)である。

この「「奇跡」」によって、人々は、イエスを王として、「「連行?」」しようとしたわけである。

 さて、それでは、蘇我の人々が、そんなに、わたくしのことを”欲しがった”として、それに繋がった奇跡は、一体何か?

応用クイズのようであるが、すなわち、こうであろう。

つまり、一地方都市の、ちょっとした”栄え所”に、全国から、難病の完治を期待して、多くの患者さんが来られた。或いは、問い合わせに”殺到した”ということであろう。

患者さんたちにすれば、”藁をもすがる思い”であったであろう。

それだけに、ヤクザや、”ゴーマンな「偉大」”、特に後者の罪は、”計り知れなく「「重い」」”と言えよう。」

一体、”誰のための「医療」”なのかと、”ゴーマンな「偉大」”には問いたい。  

さて、もう一つ、「神」が、蘇我でなさった「奇跡」がある。

これは、次のヤクザの言葉に集約されるであろう。

「キ*タマは、パシリなんだ」

順序立てて言おう。

つまりは、こういうこと。

「パシリ(弱者の象徴)が、キ*タマ(ツワモノの象徴)になった」ということである。

この間、今更のように気が付いた。

これって、よく考えて見れば、本当は”「奇跡」的”なことであろう。

 ところで、主イエスが、その”公生涯”において、しるし(奇跡)を見せてくれと、人々に迫られたときに、直接「しるし(奇跡)」に言及して言った御言葉がある。

「人々は「しるし」を欲しがる。けれども、”預言者ヨナによる「しるし」”以外に「しるし」は、与えられない。」と言う御言葉である。

大魚に飲み込まれ、三日三晩、その腹の中にいて、後に、大魚から吐き出されて、再び”陸に上がった”ヨナの奇跡である。

実際には、その問答以前には、数多くの「「奇跡」」を行われた主イエス。

けれども、”最大の「奇跡」”は、やはり、十字架の死よりの甦(よみがえ)り、すなわち、「「復活」」であろう。

 「わたしは、甦りであり、いのちである。わたしを信じるものは、死んでも生きる。」と言われたイエスさま。

聖書には、またかくもあります。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」

                (新約聖書 使徒言行録より)

誰が、わたしたちを、主の愛から離すことができよう。「飢え」か、「剣」か、「艱難」か。

明日からもまた、主を見上げて行こう。

主は、わたしたちを”限りなく「強めて」”下さる。

主は、わが盾。わが”やぐら”。わが”とりでの塔”。

苦しみのときのいと近き助け。

そして、主は、言われる。

「疲れし者、重荷を負いし者は、誰でもわたしのもとに来なさい。

あなた方を休ませてあげよう。

わたしの荷は負いやすく、また、わたしの頸木は軽いからである。」

共に、わが頸木に繋がって下さるイエスさま、どうぞ、これからも、決してわたくしの手を離さないで下さい。

御(み)もとに至るまで、どうか支え続けて下さいますように。

御前に心貧しくし、額ずきつつ、主の御名(みな)によってお祈り致します。 アーメン

         (追記)

「分列盗聴器」からというよりは、勝手に傍に”侍る”ヤクザが、言っている。

「ハセガワが言っている。「いくら何でも「裸」が出たのだから・・・」」

けれども、言いたい。

「その責任をオレたち夫婦に被(かぶせる)のは、(誰であろうとも)オカトチガイである。」

         (追記2)

(わたくしを通した)次なる奇跡を主は、”選びの地「水戸」”で行われる。

そのために大切なことは何か。

それこそ、御言葉に書いてある。

「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に・・・」

つまり、「神」感謝をささげること。

「水戸」でのすべてについて。

「職場」について。「学びの場」について。「(廣瀬)先生」について。「患者さん」について。

”「水戸」での生活すべて”について。

そうすれば、「「奇跡」」は、次なる選びの地「水戸」で起こると信じるわけである。

「千葉」では、”「「奇跡」」は、既に行われた。”

<信じる信じないは、”「受け手」の問題”>であろう。

しかし、「神」は、尚も、”最大の「奇跡」”を用意されている。

そのことによって、ハセガワさんも、アキタさんも、その過ちをあらためて”「確認」する”ことになろう。

          (追記3)

ある日、分列盗聴器から言っていた。

自身のこととして、本文中のコレコレシカジカに”「該当」する”ものであろう。

すなわち、

「二度と出ないような医者だそうだ。」

「”ソレダケの”医者だそうだ。」と言った言葉であろう。

けれども、「すべては、”「神」による「奇跡」”です。」と言わせて頂きます。

            (追記4)

ヤクザ・ソウカが、エラソーに「不払い不払い」言うておる。

そやけど言おう。「ウルトラCやてやろうと思えばできるんやで。

ウルトラCやっても、相続予定は、無傷ヤデ。

そうしないのは、わたくし自身の良心によるところです。

また、尚も、”将来”社会に貢献するためです。

その意志でいるからです。

ハッキリ言って、不払いの原因を作り出したのは、”ゴーマンの「輩」”たちです。

            (追記5)

「5年しかない」と分列盗聴器から言っている。

もしも、これ以上にオカシナコトが起こり続けるならば、”「毒」狂偉大”が全部責任を取れ!!!!!

それこそ、「毒」消し(キレーション)が、必要なんじゃないの?

独協医大なんか大嫌いダ!!!!!

ゴーマンなクソ医大、オレの最愛の妻を返せ!!!!!

クソ医大、護身するな!!!!!「迷惑」ダ!!!!!

ロクデナシめが、クソ医大も、クソ順番も皆死ね!!!!!

<<注釈>>

「5年しかない」とは、ゴーマンなクソ医大が自分たちの面子を保つために、わたしに、”「精神医療」に携わらせまい”と、”用意している「陰謀」です。

2009年1月 6日 (火)

平和の研究ーー”輝ける「夏の日」に”

「主われを愛す

主は強ければ

われ弱くとも

恐れはあらじ

「主われを愛す 主は強ければ

われ弱くとも 恐れはあらじ

わが主イェス わが主イェス

わが主イェス われを愛す」(賛美歌 「主われを愛す」第1番)

「彼らは言った。「あなたが、こういったことをするには、あなたはどのようなしるしを見せてくれるのですか。」

イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみるがいい、3日のうちに建てて見せる。」

彼らは、互いに言った。「この神殿をたてるのに46年かかっているのに、この人はどうやって、3日で建て直すというのか。」

(ヨハネによる福音書 第2章より)

「われは天地の創り主、全能の父なる神を信ず。

われはその独り子 われらの主イエス=キリストを信ず

主は聖霊によりて宿り 乙女マリヤより生まれ ポンテオ=ピラトの下に苦しみを受け

十字架につけられ 死にて葬られ 黄泉に降り 3日目に「「死人のうちより蘇(よみが)り」」 全能の父の右に座し給えり

かしこより来たりて 生ける者と死にたる者とを裁き給わん

われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、

罪の赦るし、体の蘇り、永久(とこしえ)のいのちを信ず  アーメン」 (使徒信条より)

 さて、本日は、勤務先にて、今年最初の、「不登校児の親の会」という集団精神療法の場に参加.、勉強させて頂く恵みを得た。

折から同会にて、アリス=ミラーの著作、「魂の殺人」ーー親は子どもに何をしたか を学んでいる。

同時に、DVDの映像にて、「映像の世紀」という20世紀の映像記録のドキュメント集を、毎週連続シリーズで学んでいる。

今日は、第5集の学びで、「激しい空爆、ホロコースト、そして原爆」についての映像を学んだ。

 同会(不登校児の親の会)の参加者のうちで、今日はこんな質問があった。

つまり、上記DVDについて、どうしてこの「親の会」にて、そういった(ある意味)”残酷な”ビデオについて”学んでいる”のかといったことである。

結論から言おう。「家庭での児童虐待が、戦争での残虐行為に繋がっているからだ。」

つまり、あまりにも”有名な”アドロフ=ヒトラーの残虐行為は、彼の幼少期の「「被虐待体験」」にルーツを持つわけだ。

ヨーロッパでは、よく上演されるという

「ヒトラーの幼少期」の”演劇”、彼を虐待した彼の父親のモットーなるセリフだ。

「若者は頑丈でなければならず、弱くあってはならない。若者に必要なのは、暴力的で、支配的な”権力者”だ。」

 さて、同じ勉強の時間の途中で、関連のビデオ「閉ざされた魂の叫びーーアリス=ミラーが解く子ども時代」というビデオを、途中まで観賞、勉強させて頂いた。

その中でのいくつかのキーワードがあるので紹介させて頂きたい。

①ナルシシズム欲求

子どもには、「自分のことを大人にわかってもらいたい」という欲求があって、これをナルシシズ欲求という。

たとえば、1歳の女の子がいたとしよう。仮に名前を「さより」ちゃんといったとして、この子が、のどが渇いて、「さよりちゃん、のどが渇いちゃったの。」と数回となく言ったとする。

このこと、つまり、「のどが渇いたので何とかして。」というのがナルシシズム欲求、そして、(大人が)水なりなんなりの”「飲み物」を与えて飲ませる”こと。

これが、ナルシシズム欲求を満たすということで、

以外に思う方もいるかも知れませんが、)

これが、満たされなければ、「児童虐待」ということになる。

そして、ナルシシズム欲求が満たされないと

②心の傷

となるが、

これはすなわち、大人となって後に

③他者への暴力(DVから戦争に至るまで)

④自己への暴力(リストカットを始めとする自傷行為から「反社会的行為」に至るまで)

といった形をとって、”「外に」現される”わけである。

いずれにしても、”「抑圧的な環境」の中で”、幼いときから「言葉を用いて気持ちを上手に表現する(言語化)」ことが、妨げられて来た場合に起き得るわけである。

ACと言われる「機能不全家庭」に育ち、心に傷を受けた場合の”「効果的」な「回復」”の方法について、以前に読んだ書物の中で、トラウマ(心的外傷)を与えた人(殆どの場合「親」)に、直接、”「「言いたいこと」」を言う”ことであると書いてあったのを覚えているが、

殆どの場合には、もうその時には、「親」は亡くなっていることが多く、その場合には、その(亡くなってしまった)「親」に宛てた手紙を書くことが、”「有効」である”と学んだ。

ところで、今朝のデヴォーションを通して、主は、わたくしにこう言われた。

「あなたは、夏には、”「家族を」水戸に迎えることができる”であろう。」

しかし、それ以前に昨日のことである。

”大好きな「迷彩パンツ」”を目の前に、これもまた、「神」によって諭されたことがある。

長男は、かなり大きくなった。野でも山でも連れて思い切り一緒に遊んであげたい。(そうするといいということ。)

長男ばかりでない、長女も次男も。

そして、語ろう。何でも語ってくれ。

お前たちを心から愛している。

オレは、お前たちの親父だ。

 「神」のなさることには何一つ無駄がないというのは、わたくし達キリストを信じる者には、common senseである。

しかし、今日、今晩、「神」は、なぜ、わたくしをして、廣瀬クリニックの”不登校児の「親」の会”に、

参加させ続けてきたのかを、”「再確認」する”と共に、

あらためて”深い学びに”、心からの感謝を覚えたのである。

2008年11月30日 (日)

ダイサクの情婦たち

「さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」
こうして、人の一生は百二十年となった。」  
        (旧約聖書 創世記6:1-3)

 Kフェの外で、低俗な若いダイサクの情婦たちが大騒ぎをしている。

「しょうがねェーなー、だったら弁護士入れてやるか。」

けれども、(言われている方は)本日午前蘇我駅西口交番付近でかく言ってやった。

「悪徳弁護士、二度と立てないようにしてやる。」

分列盗聴器から言っている。「離婚」

これだけは決して言うまいと思っていたが、もはや言おう。

「独協医大になんか入らなければよかった。最低だ!!!」

そして、ヤクザの情婦なる小児科の母親(実は、その一人が今日sごうに居て、「迷彩に決まっている(調停に決まっているの"意”)ジャン」と言っていて、”憤怒感”を覚えたというのがある。

情婦たちは、いつも、蘇我の診察室のすぐ後ろのキッズルームで言っていた。

「(本当は医者の)資格がナインだから、(サラリーマンになって)働け!!」

だったら、子ども診せに来んなよ。バカじゃねェーか?

 先日水戸のと*Qなるレストラン。「妬みの”輩”」が言っていた。

「働け!」

言い返した。「勤めているんだ。いい加減にしろよ!!」

独協医大になど「「入らなければよかった!!!」」

加えてヤクザに言おう。先ほどのsごうで出会った情婦の子を”床にタタキツケテヤリタイ!!」

 日本人のどこが、「人を傷つけることを好まない」のか。オレは問いたい。

 (追記)

分列盗聴器から言っている。

「射抜く(殺すの”意”)。」

けれども、つい最近祈りの中でこう示されている。

すなわち、「あなたの家の中、ナラシノの仕掛けた”分列盗聴器”だらけでしょう。

取り除き切ることができるのか?と心配する必要はない。わたし(=あなたの主なる神)は、それらの分列盗聴器を”使い物にならなくする”から。」と。

 (追記2)

ただ今12月1日(月)午前7時6分です。分列ヤクザが言っている。

「認めない。幸せだ。」

まず第一。幸せとは、アンタたちが勝手に言っていること。次に、ヤクザを全員焼き殺してやりたい(程に憎んでいる)。

「そこまでして、制服を着るのか。」に

「制服とは、アンタらが勝手に言っていること。金輪際ネクタイをしない。

ネクタイなんか大嫌い。サラリーマンも大嫌い。」

「(女房)どうせ、すぐ別れるんだ。」に

「オマエたちの”干渉することじゃないよ”!!!」

「こんな礼儀のないの初めてだ。」の声に、

「まず、第一にだれに対するものか。オレの父方の祖父は、かつて、日本の領土であった膨湖列島の馬公というところで内科医をやっていた。

亡父が言っていた。「おじいちゃんに連れられて歩いていると、シマの人は皆頭を深く下げられた。おじいちゃんは、フンフンうなずくだけ。もう少し、アイソ良くしてもいいのにね。」

「オレたちにアイサツしろ」とは、千葉市民の言っていることだ。

「<<あんなに”若い”んだ>>。順番だ。」の声に。

「オマエたちに問いたい。若いと”(自分の健康を追求する権利も含めて)人としての当たり前の権利”も認められないのか?」

「sごうに対して、あそまで言うほどエラクナイよ。」に対して。

「オレの主張している”賠償金”は、ワケの分からない「債権免除」とは違う。”正当な”ものと考える。」

 (追記3)

ヤクザ側は”判決が厳し過ぎた”とワケの分からないことを言っているが、診断書を付けての病欠で、”まだ審理の「最中」”である。

(あくまでも「仮に」ではあるが、)司法までもが、<<ただ”若い”を理由に>>不当なことを「一国民」にするならば、「「言語道断」」なことであるかと思う。

御言葉は「「すべて」」が真実

「・・・途中でだれともあいさつしてはならない」(聖書)

 少し強引に引いてきてみた。多くの御言葉(みことば)のうちで、この御言葉自体があったことは、頭の隅にある。

以前デヴォーションにおいて、この御言葉が出てきたとき、正に「そうだよな。」って、「そういうことだって、場合よってはあるよな。」って、そう思ったわけである。

 特に、つい先日、次の原則を思わされ、ますます「そうだよな。」って、あらためて思わされている。

ヤクザ対処法その1:最初から「あいさつ」しないこと。

同2:”付け入られるスキ”を与えないこと。

同3:例え、近づかれても(単純に位置的に、例えば、傍に座られても)逃げないこと。ヤツらは「野犬」であるから、逃げれば追って来てカミツクからである。

 先週火曜日、柏駅から乗り込んだ特急フレッシュひたち号いわき行き、まあ、最も乗り込む前から、柏駅のプラットホームにてヤクザがケータイで電話連絡。「8時50分発特急です。どうぞ。」

時に自由席は満席、途中で空いたので座った。

”隣の男”が何やらブツブツ。

よく聞けば言っていた。「地元に帰れ。」

そしらぬ顔をしながらも「創価学会、負け惜しみを言うな。」と返してやった。

やがて、前方の席があいたので移動。

後ろの方では、男達が言っていた。「どうやら、死にたいらしい。」

けれども、聖書にはこう書いてある。

「肉体を殺すことはできても、「たましい」を滅ぼすことのできない者どもを恐れるな。かえって、肉体も「たましい」もゲヘナ(地獄)の炎で滅ぼしつくすことのできる方を恐れなさい。」

 神と共に歩み続けるならば、一体何を恐れる必要があろうか。

正に「神が私たちの味方であるならば、一体誰が私たちに敵対し得ましょう。」という御言葉もまた、真実であるなと、あらためて思わされました。

 (追記)

ヤクザは、「分列事業」を諦め切れずにグズグズグズグズ。

「離婚は、老人は、特急(?)は?」あらゆる角度で、思いの人物を”縛っておこう”と必死である。

思い出した。ゴーマンションは倒れなければならない。その結果、”ゴーマン”な老人が複数「裸」になる。けれども、それは”「おのれ」の思いのもたらすところ”である。かえって思い起こすのは、今ある”診察室”でのこと。80過ぎのおばあさん。「松山先生のように、お話を聞いて下さる先生は中々いない。松山先生はいいね。」とおっしゃって下さった。

主はかく言われる。「お年寄りは、あなたを頼っている。」

自覚をするべきかと思う。診察室にいると判る。お年寄りばかりでない。若者もまた、頼っていることも。

ヤクザが、ストーカーを続けている間は、千葉市もヤクザもまだ「「降りていない」」。

だから、騙されてはならない。

関連性はよく分からない。けれども、この前(かなり以前にはなるが)「分列盗聴器」から言っていた。「独協は、”クスリ(屋?)”が悪いと言っている。」

 (追記2)

新聞を見るならば、”裁判員タケナワ”である。けれども、わたくしは、「「大警告」」をしたい。「裁判員}が、当該の事件に”「「利害関係」」を持つ”ならば”話にならない”と。

 (追記3)

ヤクザは、どうしても”縛っておきたい”期待の(?)人物のために、アパートの一室を考えていると聞く。けれども、その一室には、「裸」になり、離婚をされたオ*キ自身が住むことになろう。(それは、)丁度、ハマンが、モルデカイを”絞首刑に処するために”準備した自身の「「邸宅」」の庭の木が、彼(=ハマン)自身の処刑場となったようにである。(旧約聖書エステル記参照)

 (追記4)

正しい人が、”国家権力の「過ち」”によって、”「災難」に遭っている”のに、ヤクザは、それを不払い(というよりは”盗んだ”)と”言い張って”、食い尽くそうとしている。(偏差値の”低さ”を”端的に”現しているのかも知れないが、)

完全に「「間違っている」」ことかと思う。

 (追記5)

「働け」、それしか言うことのないワンパターン(忘八蛋)。せいぜい”「偏差値」の低さ”を露呈するがいい。そして「働け」。せいぜい「「自らの」」”「価値観」にのっとって”。

2008年11月23日 (日)

「種痘痕」から思うこと

主よ。私は御名を心から高らか高らかに賛美致します。

確かに敵の嫌がらせを受けています。けれども、私はあなたの御名を心から心から讃えます。船橋にてこの唇の誓いを果たします。

全焼のいえにえを、感謝の献げものをささげます。本日のデヴォーションのひと時を感謝申し上げます。

敵が、幼稚な嫌がらせをし、たった今消された詩篇をもう一度御前に、また多くの人々の前に明らかにします。

どうぞ、主よ、船橋での”働き”のためにも、このブログを祝してお用い下さい。

御名によって、お祈り」いたします。  アーメン

「神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。
あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷を着けられました。
あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。
私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。
私は全焼のいけにえを携えて、あなたの家に行き、私の誓いを果たします。
それは、私の苦しみのときに、私のくちびるが言ったもの、私の口が申し上げた誓いです。
私はあなたに肥えた獣の全焼のいけにえを、雄羊のいけにえの煙とともにささげます。雄牛を雄やぎといっしょにささげます。セラ
さあ、神を恐れる者はみな聞け。神が私のたましいになさったことを語ろう。
私はこの口で神に呼ばわり、この舌であがめた。
もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。
しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声に心を留められた。
ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵み(みめぐみ)を私から取り去られなかった。
             (旧約聖書 詩篇66:10-20)

 今朝は、四時半に早々と目を覚ました。誰もまだ起きていない(?)、静けさに包まれたカフェ。

暫く時を置いて、(前日のブログを再度チェックして、小修正を加えて、)五時半、

そろそろメシを頼んでも良かろうかと思ったので、当カフェの新メニューとして登場のチャンポンうどんとカレーうどん(朝は、むしろたくさん食べても健康にはOK)を注文した。

熱いうどんを食べ、汁を飲む間に、自前の代謝亢進(代謝熱量は、筋肉量に拠る)で、熱くなり、長袖のシャツを脱いで、トイレに用足しに行った。

 鏡に映る姿に、思い出したように気が付いた。

「「種痘痕」」

その昔に、全世界を凌駕した病原体は「撲滅宣言」を出され、今では、ある研究所、たった一箇所に研究用にと、そのウィルス株を残している。

自らの体から自らの歴史を思い起こす。

早い話が移民(もっとも、生まれ育ちは日本)。けれども、父方の祖母が長野の諏訪の出身で、ある意味、(たとえばブラジルの)日系移民の再移民にも似る(?)ところもあるのかも知れない。

けれども、そういった訳で、”「外の文化」の影響をかなり受けている”言い換えれば「「国際人」」である。

文化の摩擦は、子供のころからあったが、けれども、この国の場合は・・・・

思い出したのは、すなわち、種痘痕からのタイムカプセルは、果たして、”小学校の4年~5年の一学期”に連れて行った。

当時の住まいは、茨城県稲敷郡阿見町。

思い出した事柄は、ケンカというよりは、受けた集団暴力。

かなりの大人数相手にケンカの日々。というよりはケンカをしかけられた日々。

けれども、わたくし自身は、その当時のことは、実際にはそれほどトラウマにはなっていないと感じている。

風向明媚な「千波湖」「偕楽園」、今、茨城が「やすらぎ」。

気付いて見れば、時折自分のアクセントが、”いばらぎなまり”になっていることも・・・

”水戸のなまり”は、かつて勤めた「鹿島なまり」にほぼ近似する。同じ北関東でも、栃木のなまりとは、明らかに違う。

もちろん、千葉の「だっぺ」ともである。

 さて、そんな”阿見町時代”、当のケンカ友達もまた、そんなに大したことだとは思っていな(つまり、憎しみはないという「意」)かったようだ。

小学校のお別れ会、非常に強烈に印象に残っている。

それまで、転校して行く子のお別れ会には、複数回出席したが、恒例のプレゼント、

オレほどたくさんもらったヤツは、少なくとも、自分の記憶にはない、

その中で、ある男子クラスメイトからの手紙。

(確かに彼とはよくケンカをしたけれども)書いていた。

「リュウ君とは、よくケンカをしましたね。」

まあ、とにもかくにも、風光明媚な「千波湖」「偕楽園」、今、”いばらぎ”が心地良い。

書いているうちに、ふと、思い出した「茨城県民の歌」の最終章。

新しいものに代わっていなければの話であるが、(確か)「いばらぎ、いばらぎ、われらのいばらぎ」であった。

 種痘痕より自らの”歴史”を振り返りながら、”「神」の導きのフシギ”をまた、覚える今日の始まり。

今日は、主日。「神」が、人が”安息を得るように”と祝福して与えられた”日”である。

本日の、日本の津津浦々の「神」にある教会で持たれる”礼拝”が、豊かに祝されるようにと願いつつ、筆を下ろさせて頂きます。

2008年10月19日 (日)

「神」のご計画を思うときに

「驚くばかりの 恵みなりき

この身の汚れを 知れるわれに

 恵みはわが身の 恐れを消し

任(まか)する心を 起こさせたり

 危険をも罠をも 避け得たるは

恵みの御業(みわざ)と 言うほかなし

 御国(みくに)につく朝 いよよ高く

恵みの御神(みかみ)を 讃えまつらん」

    (聖歌「驚くばかりの(アメージンググレイス)」全歌詞)

「わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代価とする。」

    (旧約聖書イザヤ書43:*-*)

 クシュとは今のエチオピアのことである。旧約聖書の書かれた時代を通し、エジプトにしても、クシュにしても、神の民なる「イスラエル」よりも遥かに強大な国・民であった。

またセバとは、南アラビアの非常に裕福な国であったようだ。

(神の民なる)イスラエルの神である主は、事のほか、御自分の民を愛され、その強大な国々を御自分の愛する「民」のために、”犠牲”にされると言う。

主は万民に対して「「平等」」(に門戸を開いておられる)。

けれども、一旦”御自分の民”となるならば、事のほか愛される。

神の愛を、”素直に”受け止めることのできる者は幸いである。

 昨日は、都合にて母がいつも行っている教会にて、礼拝を守ることができたが、牧師さんの説教箇所は、旧約聖書の師士記より、映画化された師士(=その当時のイスラエルの裁き司すなわち国政の責任者)で、(怪力の持ち主の)サムソンの話であった。

サムソンの失敗とは、何か(何によるのか)? (生まれながらにして)「神」に献げられた「ナジル人」として(自らが)あることの自覚を忘れて、(結果的に)神に従い切れなかったことである。

かくして、この私自身もまた、「神」に献げられた者であることを覚えるのである。

あれは、19歳か20歳のときのこと、丁度母が栃木の私の棲家に訪ねてきたときのことである。

折から病んで、「死にたい」と散々言い続けていたあの頃の、ある晩、母がわたくしの枕元でこう祈っていた(ことに密かに気付かされていた)。

「主よ。もしも、この子が、あなたの御用をなすものであるならば、どうぞこの子を、”救い”また守って下さい。」

 折から、礼拝が終わった後で、(母の)教会で、昼食に与ったわけであるが、その際に牧師の息子の”可愛さ”が、一際わたくしの目を引いた。

聞けば3歳とのこと、自分の末の息子のことを思い出した。妻と別居になった時、あの子は2歳、これからが、”かわいい盛り”であった。

少し心を動じたが、そのほんの少し前に聞いた「説教」の話を思い起こし、(自らの心を)持ち直した。

神は、その愛する御自分の民一人一人の人生にご計画をお持ちである。そして、そのご計画のあるところの「神」の御心(みこころ)を求め続ける時、そこには、大きな大きな「「祝福」」が備えられていることをまた、覚える訳である。

「わたしは、あなたがたに立てた計画をよく心に留めている。それは災いではなく、平和の計画である。」

               (旧約聖書イザヤ書 *:*)

 ”強い男”として生きる秘訣、それは、”毎日「聖書」を読むことと、神に従い切ること”。

そうするならば、大きな大きな「「祝福」」を勝ち取ることも尚然り。

この国を支配し続ける悪い霊、”傲慢な「順番」の霊”にも、勝つことができる。

素晴らしい”確信”は更に、わたくしに「自信」を与える。

「恐れてはならない。黙っているな、語り続けよ。

わたしがあなたと共にいる。

だから、あなたを襲って危害を加える者は誰もいない。

この町には、”私の民”が大勢いるからだ。」

     (新約聖書 エペソの信徒への手紙*:*ー*)

心から「神」に感謝をいたします。そしてまた、御名(みな)を心から賛美いたします。

(追記)

今、なぜここにいるのか。実は昨日(の日曜日に)自宅で就寝することに”危険を覚えた”からである。

昨晩、母の家から自宅に帰ったところ、丁度屋外に設置されたセコムの警告灯が、”危険を知らせるサイン”を発していた。

取り合えず、家に入った。屋内のセコムの機器の操作パネルがイカレテいた。

セコムの係員の入った”形跡”は、「「不詳」」である。

不詳と書いたのは、ハッキリ言って、同会社が”「完全に」信用ならない”からである。

以前のブログ「にて、セコムの”緊急”ボタンを押し、セコムの係員の代わりに”ヤクザの手下”が来たことは、既に書いた。

(書いている側で)ヤクザが笑っている。

けれども、わたくしはこう言いたい。

「大木、お前はいつまで、そんなところにお高く留まっていられると、思っているのか。

愚か者よ。「神」はかく言われる。」

「主は御目に適う者を引き上げ、高ぶる者を低くされる。」(聖書)

(追記2)

上記の追記を書いて思い起こした。最近、裁判の証拠品の一つが、なくなっていることに気付かされた。もしも、”セコムが、ヤクザに協力している(?)”といったことがあるならば、その証拠品は、盗み出された可能性がある。

また、先日のブログでも書かせて頂いたように、警察そのものが時折、わたくしの身辺で”挙動不審”な行動をするというのがある。

”被害届け”を出したくても出せない。

単にわたくし一人の問題ではないかと思う。

それこそ、”この国の「「大危機」」”ではなかろうか、と思うのは、わたくし一人であろうか?

(追記3)

書いている側で、分列の”女”が言っている。「順番だよ。」

わたくしは、こう言いたい。

「キチガイ!!」

2008年10月12日 (日)

God bless you

「あなたを祝福する者をわたしも祝福し、あなたを呪う者をわたしも呪う。」

          (旧約聖書 創世記*:*)

「主はアブラハムが何をしても祝福された。」

          (旧約聖書 創世記*:*)

 本日、第四期分子整合栄養医学基礎講座が、東京において開かれた。本日は、4日ある講座設定日のうちの第1日、明日の朝9時より2日目の講義がなされる。然るにして、本来は、今晩はそれほど時間がない。極簡単にまとめて帰ろうかと思っている。

が、そんな中で敢えて(ここに)寄ったのは、やはり「神」の導きによるところである。

もっとも一つには、蘇我駅前を回避したかったというのもあるが・・・。

やはり、分列の”輩”に、「分列事業」を完全に諦めさせるという目的もある。

何を言ったところで、結局、分列の”輩”は、果たして、その「分列事業」の中心に、一体誰を据えたのか。然るにして、その据えられた人物が「ノー」と言ってしまえば、それまでである。

当たり前と言えば、当たり前である。

一つついでに言いたい。かつて、蘇我の当該ビルにいた時のビルの同居人の皮膚科の先生も、また、次いで開業された隣のビルの中島先生も、ネクタイをしていない。

なぜ、オレだけに強制(しようと)するのか。

元より、”人に決められる人生”は、もう充分である。

オレの人生だ。オレの好きなようにしたい。

Japanese malignancy~Soukagakkai

謙虚になった方がいいよ。

いくら言ってみたところで、この国が、先の大戦で負けたことは事実なのだから。

それにしても、世界のグローバリズムが言われる中、彼らは何を考えているのであろうか。

大日本帝国の再現か?はたまた・・・。

彼らに危機感を抱くのは、わたくしだけであろうか。

わたくしは、この国がとても”心配”である。

間もなく、「選挙」という声も聞くが、国民一人一人に、賢い「有権者」となって頂く、そのことを切に望むものである。

2008年10月 6日 (月)

母との会食

「屈するなかれ 試みに

屈せばついに 罪とならん

隙(すき)をねろう 敵あれば

いよよ仰げ 御助け(みたすけ)を

日々祈りもて 主に請(こ)いまつれ

汝(な)が力なる 主の助けを

 友を選べ 心して

言う言葉にも 敬虔なれ

考え深く 事を成し

真実込めて 主に頼れ

日々祈りもて 主に請いまつれ

汝(な)が力なる 主の助けを

 勝つ者には 冠(かむり)あり

信仰により 勝ちを得よ

救い主は 御力(みちから)を

日々あらたに 与え給(たも)う

日々祈りもて 主に請いまつれ

汝(な)が力なる 主の助けを

      (聖歌 「屈するなかれ」 全歌詞)

「ヤコブよ、あなたを創造された主は

イスラエルよ、あなたを造られた主は

   今、こう言われる。

恐れるな、わたしはあなたを贖(あがな)う。

あなたはわたしのもの。

わたしはあなたの名を呼ぶ、。

水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。

大河の中を通っても、あなたは押し流されない。

火の中を歩いても、焼かれず

炎はあなたに燃えつかない。

わたしは主、あなたの神

イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。

わたしはエジプトをあなたの身代金とし

クシュとセバをあなたの代償とする

わたしの目にあなたは値高く、貴く

わたしはあなたを愛し 

あなたの身代わりとして人を与え

国々をあなたの魂の代わりとする。

恐れるな、わたしはあなたと共にいる。

わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り

西からあなたを集める。

北に向かっては、行かせよ、と

南に向かっては、引き止めるな、と言う。

わたしの息子たちを遠くから

娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。

彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。

わたしの栄光のために創造し

   形づくり、完成した者。

      (旧約聖書 イザヤ書43:1-7)

明日に架ける橋

 Bridge  Over  Troubled  Water 
by  サイモン&ガーファンクル

詞・曲:  Paul  Simon

日本語訳詞 by M.Murakami

あなたのひとみに  涙が光る  そんな時には  私が  涙をふいてあげよう

頼れる友が  いなくて寂しい時も  私が  あなたの傍にいて  なぐさめよう


   あなたが友達を  求めて街を  さまよう時  たそがれ  あなたに迫り

   ひとりの時にも  あなたの苦しみの  足跡を  私が拾い集め  ついてゆく・・・


銀色の船が今  朝陽の中で  あなたを待つ  あなたの  夢、愛と希望を

両手に抱えて  涙の河に今  別れを告げ  明日へ向かう船で  旅立とう

      like  a  bridge  over  troubled  water  I 'll  ease  your  mind  ........

        (映画音楽 明日にかける橋 より)

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」

        (新約聖書 コリント人への手紙一 13:13)

 本日、夕食を実家にて(牧師さんと共に)母と共にした。

そのとき、何故か、脳裏に過ぎった。かの日のこと、すなわち、長男が生まれて妻が実家にて養生し、(初めて)初孫を連れて、わたくしの実家にて、テーブルを囲んだその日をである。

悲しくなった。時にバックミュージックは、上記の映画音楽、音楽のうちに、”激しい流れの上に架かる橋”がまぶたに浮かんだ。(英語のタイトル Bridge over troubled waterからである。)

「神」は、音楽のうちに、わたくしに語りかけた。

「あなたは何を(誰を)信じますか?」と主は私に語りかけ、そして、troubled waterの流れ去った後に、「「”復活”の命を注がれた「新」家庭」の姿」」を仰ぎ見た。

Bridge over troubled water、イエスさまが、そうなって下さる。(否、既になって下さっている。)

Bridge over troubled water、オレが、そうなってやる。

主よ、あなたは必ず、叶えて下さる。貧しい男の”ささやかな「願い」”を。

何故ならば、(神の)御心(みこころ)に適うことであるから。

Bridege over troubled over、オレがなってやる。いや、なりたい。

”「家族」を覆う橋”、「濁流に架かって守る橋」

Bridge over troubled water、

今一度、新しくして”任命”して下さい。一人の女性(ひと)の夫に、三人の子の父親に。

Bridge over troubled water、

イエスさま。あなたの御跡(みあと)を辿ります。

Bridge over troubled water、力を、そして勇気を与えて下さい。

Bridge over troubled water、何よりも”愛”を与えて下さい。他の何ものでもない、あなたの”愛”を、”真(まこと)の神の真実の愛”を。

いつの日にか。穏やかに差す”春の陽”に。

過ぎ去りし日を、脳裏というアルバムに収めて。

心から「神」を、讃えたい。

「大丈夫だ」、「神」は、言われる。

「信仰の継承」最も大切なことだ。

それゆえ、主は言われる。

「間もなく、取り下げになる。神を侮る訴えは。」

サタン(悪魔)とは、訴える者、acuser、(それであるから)間もなく取り下げになる。

「神」を侮る訴えは。

There's no Satarn's power whitch is not contoroled by the Lord.

 (追記)

悪魔の手先たちが、どうやら、妻とその実家を脅して、神を侮る訴えを起こさせているようである。

分列盗聴器から言っていた。「裏目に出たよ。離婚するだろう。迷彩脱いでネクタイすりゃいいものを。」

だが、もはや、その(蘇我の)場所にいるつもりのない人に向かって、そういうことばかり言い続けるのは「「脅迫」」以外の」何物でもない。

(追記2)

折からKふぇのダイサクガールが言っていた。「専門どうしてもゆずれないよ。」

その昔、精神鑑定医というのがあって、今、精神保健指定医と名前を変えているが、別にそれがないと精神科診療に携わることができないというわけではない。丁度、母体保護指定医でなければ、産婦人科診療に携わることができないわけではないのと同様である。

母体保護指定医については、妊娠中絶手術の施行資格、精神保健指定医は精神鑑定の施行資格である。堂々医師国家試験に合格し、資格を有するのに、後で、誤診が発覚したがために、その隠匿を図ろうとする”輩”から、無資格呼ばわりされ、ヤクザに食い物にされるなど、散々に迷惑を受けた。

そういえば、一つの事を今思い出している。

医学部5・6年の臨床実習(B・S.・T)でのことである。

時に、世はソウル五輪に沸いていた。丁度、ボクシングの試合があった翌日である。

時の母校の第一麻酔科の教授が、学生や助手を前にして言っていた。

「韓国人というのはやはり野蛮人だよ。選手がレフリー殴ったよ。」

レフリー殴るのは、勿論いけない行為である。が、当該教授のその発言は、患者を思想、信条、国籍、等で差別をしてはならない医師(医師法)の発言として考えるならば、受け入れ難い”暴言”である。

もしかすると、そういった気質が、母校学内に蔓延っているのかも知れない。

そもそも、”誤診”を、宗教団体や、暴力団によって、もみ消そうとするような意図があるとするならば、”「命」を預かる最高学府”として、(傍らでヤクザは笑っているけれども)「「最低」」である。

追伸:女房を寝取られた男が、”復讐心”を持ったとして、誰が責め得ようか。

追伸2:近くで、分列ヤクザが、言っている。「丁度いいよ。”迷彩”でいい。」

けれども、オレは言おう。「キンタマ取られてまで生きようとは思わない。」

 (追記3)

分列ヤクザの女が言っている。匠ハウスの分列女だ。

「挨拶一つできない。」

けれども、昼には、匠のヤクザ仲間が言っていた。

「皆 オレたちに挨拶するのに、野郎だけがしねェー」

(いかにもヤクザらしいが、置いておいて)

聖書をご存知の方は、どうぞ、思い起こしてください。

ユダヤ人のペルシャ王妃、エステルのおじであり、養父であったモルデカイの姿を。

時の重臣ハマンが、どんなに圧迫しようとも、決して、「礼」をしなかった正しい人の姿を。

そして、このこともまた、思い起こしてください。

すなわち、ハマンは、モルデカイを「絞首刑」にしようと図ったけれども、そのハマンの庭の木に用意された縄に、「首」をかけられたのは、ハマン自身であったことを。

「悪者のことに心を燃やすな

彼らと共にいることを望むな。

悪者が心に思いめぐらすのは暴力。

唇が語るのは労苦を引き起こすこと。

家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。

知識は部屋を満たし、貴く喜ばしい財産となる。

知恵ある男は勇敢にふるまい

知識ある男は力を発揮する。」

       (旧約聖書 箴言24:1-5)

2008年10月 4日 (土)

主の山に、備えあり

kふぇのダイサクボーイズたちに不愉快!!!

アイツらの親玉は首にひき臼をかけられて海に投げ込まれた方がましである。

さて、呼吸を整えよう。

「これらのことの後で、神はアブラハムを試された。

神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。

「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。

わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げものとしてささげなさい。」

次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられたところに向かって行った。

三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。

「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」

アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。

イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。

「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げものにする小羊はどこにいるのですか。」

アブラハムは答えた。

「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。

神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。

そのとき、天から主の御使い(みつかい)が、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。

「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」

アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。

アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)]と言っている。

主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。

「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

      (旧約聖書 創世記22:1-18)

 「あなたにとって、最も大切なものは何ですか?」と問うた時に、多くの人がお答えになる答の一つにに、”家族”という答があるであろう。

わたくしとて、同じである。

”愛する家族”、クリスチャンであれば、尚のことである。

けれども、主はわたくしに、今、あなたの”最も愛するもの”を、わたし(主)にささげよ、と言われている。言葉を変えれば、「(主に)任せよ、あなたの愛する家族を(主に)任せよ。」というわけである。

 「主に任せよ 汝(な)が身を

主は喜び 助けまさん

忍びて 春を待て

雪は溶けて 花は咲かん

嵐にも闇にも ただ任せよ 汝が身を

 主に任せよ 汝が身を

主は喜び 助けまさん

悩みは 強くとも

御恵み(みめぐみ)には 勝つを得じ

真実(まこと)なる 主の手に

ただ任せよ 汝が身を」

    (讃美歌 「主に任せよ」 全歌詞)

 ここで、汝が身とは、勿論自分自身に関わるもの全てを指す。

勿論、”「家族」を含めて”である。

そもそも、元々(家族は)主に頂いたものである。

それであるからこそ、自信がある。つまり、主にあって自信があるわけである。

ところで、この間、牧師が言っていた。私たちクリスチャンがよく用いる、主にあって、神にあって、或いはキリストにあって、という表現は、英訳するならば、それぞれ、”in the Lord, (in God), in Crist)つまり、主の中で、神の中で、或いはキリストの中で、となる。

つまり、わたくしは、すなわち、わたくしの主(人)である神なるキリストの中で(中にいて)

家族に対して自信があるというわけである。

それはそうである。というのは、それこそ、「神」が、わたくしを一人の女性の夫とし、「神」がわたくしを3人の子供の父親として下さったわけであるから。

ここで、夫とする、或いは父親とするとは、言い換えれば”任命した”という言葉に置き換えられる。つまり、それこそ、”「「全能」」の父なる「神さま」”が、わたくしを、”妻”の夫とし(て任命して下さり)、子ども達の「父親」として(任命して)下さったわけであるから。

ただし、ここで大切なのはあくまでも、”in Crist”であること、すなわち。キリストに従う者であることである。

ここにおいて、わたくしは、逆に言うと大いに自信があるわけである。

ただ、このこと(キリストに従うこと)さえも、私達人間は、自らによっては成し得ないわけで、正に「神」に従うこと、そのことさえも、”「神」の恵み”であるわけである。

ただし、わたくしを含めて人間には、”自由意志”というものが存在し、神は、その(人間の)”自由意志”に対しては、決して阻害しないのである。

そこには、絶えず、「神に従う者とならしめて下さい」という祈りが存在するわけである。

よく、ヨーロッパの宗教画で、ドアノブが、内側にしかない扉を、外側から人が、ノックしている絵画を見るが、それこそ、その扉の外側に立つ人とは、神なるキリストであり、扉の内側は、私達人間一人一人の”こころ(の内側)”を表しているものである。

そういうわけで、たとえ、どんなことがあろうとも、わたくしが、「神」に従い続ける限り、それこそ、「神」が、夫であること、また父親であることを、”解任しない”のである。

 さて、そろそろ結論である。

因って、「神」に従い続けることを求め続けるならば、”答”は、明白である。

(元より、たったの一度として、そのことに対する依頼というものを受けたことはないのであるが、)「神」への「「敵対行為」」を伴った”分列事業”への協力は、”断固拒否”、その結果どのようなことが、世間で起こっていようとも、当方には責任はなく、もしも、その責をわたくしに問おうというのであれば、それこそ、「「責任転嫁」」以外の何物でもなかろうかと思うわけである。

それであるから、それこそ、”大好きな”「迷彩」脱ぐ必要はないし、”大嫌いな”「ネクタイ」を着ける必要もないと、「「宣言」」させて頂く次第である。

そうい」えば、昨日の昼間、ある所でこんな事を言われた。

「自分がカッコいいからって、何さまなんダヨ!!」

「カッコいい」の”公認”なのも嬉しいけれども、、”「神」は、”必要”を備えられる”(主の山に、備えあり)方であり、主にあっては、無駄は何一つないのである。

然るにして、今、「カッコいい」というのは、「神」から見て、わたくしにとって”必要な”ことなのであろう。

その「神」の御心(みこころ)、勿論、不倫であるとか、第二の妻であるとかではないことは、言うまでもない。

 「しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女にお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

    (新約聖書 マルコによる福音書 10:6-9)

  (追記)

 水戸での診療中にある患者さんに言われた。「この間、先生のホームページを見ようとしたら、閉鎖されていて、ショックを受けました。」

およそ、戦後になってから、かような”言論統制”が行われたのは初めてのことかとも思う。おまけに、PCの破壊のことも考え合わせるならば、それこそ、仕事の邪魔をされたわけである。それこそ、家賃滞納3ヶ月以上では、契約解除の約束なのに、執拗にされ続けて、大変な”迷惑”を受けた。係る状況に及んで、当方としては、もはや、滞納家賃ならびに関係諸経費につき、もはや”支払いの義務なきもの”と認識している。

ご不満とあらば、”刑事告発”されるがよい。(望むところだ)受けて立とう。

ヤクザ野郎!まるで女のように”調停”に逃げようとするな!!

何年越しの苦しみか分かるか!それこそ「「浅学な」」お前達に。

 (追記2)

水戸の(弁護士)先生が”射抜けない”と言ったものを、なぜ、ヤクザどもが射抜けると言い続けるのかよく分からない。その一方で、これこれで射抜くことができないと色々理由を言っている。けれども、全ての人の目の前にあるのは、”射抜けないでいる”という事実である。

ヤクザども、射抜きにしても、「裸」にしても、大口叩くのは実際に実行できてからにするがいい。

 (追記3)

創価学会の言う”順番”は、その内容に全く正当性を認めず、”強迫観念”、つまり、極簡単に言えば、「「囚われ」」かと思う。

創価学会、あれに入っている人達は全員”強迫神経症”かと思う。

すなわち、彼らの”頭の中”は、「順番で一杯で」、他のことを考える”ゆとり”が「「皆無」」であるわけだ。

ところが、強迫=依存=解離であることを考えるならば、創価学会員は、全員順番アディクション、つまり、順番依存、そしてまた、彼らは、順番によるところの”解離性人格障害”とも言えるかと思う。

”順番のために”松本智津夫式マイクロウウェーブが、登場しても不思議ではなかろう。

 (追記4)

サラリーマンだとこういう場合は100%離婚だから、サラリーマンはネクタイだから、サラリーマンは・・・

それとオレとどんな関係がある?

 

2008年9月27日 (土)

「夢」の一致

「おお御神(みかみ)をほめまつれ

尽きぬ命 与えんと

独り子をも惜しみなく

世びとに与え助け給(たも)う

誉めよ 誉めよ神の愛を

歌え 歌え 主の御業(みわざ)を

その御業に現れし 父なる神の恵みを

 主は贖い(あがない)成し遂げて

御名(みな)に頼る人々の

罪はいかに深くとも

赦し(ゆるし)与え助け給う

誉めよ 誉めよ神の愛を

歌え 歌え 主の御業(みわざ)を

その御業に現れし 父なる神の恵みを」

                  (ワーシップソング 「おお御神をほめまつれ」1番・2番)

 「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。

悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。

だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。

どのような時にも、”霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気強く祈り続けなさい。」

                 (新約聖書 エペソ人への手紙6:10-18)

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。

愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

                 (新約聖書 コリント人への手紙 一 13:4-7)

 やはり、聖書の御言葉(みことば)は、素晴らしい。それはそうだ。「神」の言葉だから。

”人知”をはるかに超えるもの。”神”の「智恵」、”神”の「奥義」。

「主を知ることは知識の始め。」(旧約聖書 箴言より)とは、まったくもってその通りである。

私は、「神」をおいて、”何”を語ろう。

”順番第一位”すなわち「神」。「神」をおいて、「「順番」」を語ることはできない。

「神」は言われる。

「初めに神は天地を創造された。」(旧約聖書 創世記1:1)、聖書の第1ページにある冒頭の”文”である。

私は「神」を讃える。心から讃える。

主は高い山々を天から見下ろし、”雷(いかづち)”をその上に鳴り渡らせる。

しかし、一度主が怒りを発せられると、その山々はいとも易く崩れ去り、深き海の深遠にさえ注ぎ込まれる。

人の一人として、果たして誰が、このような偉大な業を成し得よう。

ヤマザキ氏が成し得ようか。ましてや、ダイサクが。

それ故に、私は恐れない。それこそ、山々が崩れ去って、海の間中に移ろうとも。

主は、偉大な御業(みわざ)を成し遂げられた。

”人知”をはるかに超える御業を。その主が私と共においで下さる。

インマヌエルなるお方の”御翼(みつばさ)”に隠されて、御瞳の中に守られて、今日も”力強く”歩んで行く。

「神は、わが力、わがやぐら。わが盾、砦の塔。苦しむときのいと近き助け。」

人は、神なくして、いかにして救われようか。

 神は、愛する者の人生に責任を取って下さる。それは、神ご自身の立てられた、”愛するもの”へのご計画の故である。

主は決してされない。わたしのことを。決してされない。”種馬”に。

御心(みこころ)ではないからだ。

PTSD.

私もなった。独協医大でなった。丁度同じ、”優秀な””企業戦士”と同じように。

優秀な企業戦士が、”うつ”に病むときと同じように。

優秀な企業戦士が、”うつ”に悩むとき、自らの”能力(ちから)”を、”限界と取り違えて”悩むとき、そこには、こっそりと、けれども、実はPTSDが花開く。

愛する妻よ。

「共に乗り越えよう。PTSDを。

共に乗り越えて、仕えよう、PTSDに病む人に。

こころの病に病む人に。」

「キリストは、仕えられるために来られたのではなく、仕えるために来られた。(聖書)」のであるから。

  (一つだけ追記)

元より、内科・小児科の保険診療と、予防接種に頼ることには、困難を感じていた。経営者としては、”方策”を打ち出すのは当然である。それが、新進気鋭の「栄養療法」であった。

愚かな”輩”が、理解せず、これを「「破壊」」した。

予防接種が、一体いくら運んで来る?

2008年9月23日 (火)

真実の友

「その後、こういうことがあった。ダビデの子アブサロムにタマルという美しい妹がいた。

ダビデの子アムノンはタマルを愛していた。しかしタマルは処女で、手出しすることは思いもよらなかったので、妹タマルへの思いにアムノンは病気になりそうであった。アムノンにはヨナダブという名の友人がいた。ヤナダブはダビデの兄弟シムアの息子で大変賢い男であった。ヨナダブはアムノンに言った。「王子よ。朝ごとに君はやつれていく。どうかしたのか。どうして打ち明けないのだ。」アムノンは彼に言った。「兄弟アブサロムの妹タマルを愛しているのだ。」

ヨナダブは言った。「病気を装って床につくとよい。父上が見舞いに来られたら、、「妹タマルをよこしてください。何か食べ物を作らせます。わたしに見えるように、目の前で料理をさせてください。タマルの手から食べたいのです」と言ったらよい。」

アムノンは床に就き、病を装った。王が見舞いに来ると、アムノンは王に言った。「どうか妹のタマルをよこしてください。目の前でレビボット(「心」という菓子)を二つ作らせます。タマルの手から食べたいのです。」

ダビデは宮殿にいるタマルのもとに人をやって、兄アムノンの家に行き、料理をするように、と伝えさせた。タマルが兄アムノンの家に来てみると、彼は床に就いていた。タマルは粉をとってこね、アムノンの目の前でレビボットを作って焼き、鍋を取って彼の前に出した。しかしアムノンは食べようとせず、そばにいた者を皆、出て行かせた。彼らが皆出て行くと、アムノンはタマルに言った。「料理をこちらの部屋に持って来てくれ。お前の手から食べたいのだ。」

タマルが、作ったレビボットを持って兄アムノンのいる部屋に入り、彼に食べさせようと近づくと、アムノンはタマルを捕らえて言った。「妹よ、おいで。わたしと寝てくれ。」

タマルは言った。「いけません、兄上。わたしを辱めないでください。わたしは、このような恥をどこへもって行けましょう。あなたも、イスラエルでは愚か者の一人になってしまいます。どうぞまず王にお話ください。王はあなたにわたしを与えるのを拒まれないでしょう。」

アムノンは彼女の言うことを聞こうとせず、力ずくで辱め、彼女と床を共にした。」

    (旧約聖書 サムエル記下 13:1-14)

「友を選べ 心して

言う言葉にも 敬虔なれ

考え深く 事をなし

真実こめて 主に頼れ

日々祈りもて 主に請いまつれ

汝(な)が力なる 主の助けを」

    (聖歌 「屈するなかれ」 第二節)

 真実の友、本当の友とはどのような友でしょうか。朝読んだ上記の聖書箇所から、もう一度確認をさせて頂いた。

真実の友とは、上記のヨナダブの如くの悪賢く、無責任で、要領のよい人物のことではありません。お金持ちだから近づいてくる人、「有名人」だから近づいてくる人、知識や情報を持っているから近づいてくる人、利用したから近づいてくる人でもありません。

逆にいうと真実の友とは、(その人の)(その)友にとっては、何が一番必要なのか、真剣に考えて、必要に応じた助言を与えてくれるような、そんな友です。

 わたくしには、かような友が、「人」のうちにも数人はいますが、何よりも最大の”友”は主なる神なるイエス様です。

正に、わたくしの必要を真剣に考えて下さり、満たして下さる、そして必要に応じて”(聖書の)御言葉(みことば)”をもって正しい助言を与えてくださる”真実の「友」”です。

分列の”輩”は、(わたくしに)「友がいない」と野次り侮りますが、実は判っていない。わたくしには、史上最強の”友”がいるということをです。

その友が言われる。「あなた(=私)は、今回のヤクザとの争いごとでビタ一文失うことはない。勿論家族も失うことがない。失うのは、ただあの場所だけである。」

 確かに「離婚裁判」を提訴されてはいます。そのために”世”から冷やかされることもしばしばではあります。けれどもまた、”通らなければならないところ”でもあることを覚えるのです。というのは、「家庭」が回復して妻子と一緒に暮らすことができても、特に最初のうちは、どうしても”ぎこちない(時期)”を、経験せざるを得ないということがあるかとも思いますし、その時に、そこを乗り越えるためには、今正に、そういったことで、”煩悩”する必要があるかとも思うからです。

加えて、考えようによっては、それこそ、米国、カナダ等、裁判が日常茶飯であるところでは、”「(離婚)裁判の中で」夫婦が一致して行けるかどうか”、ということで、”回復”と離婚の分かれ目になり、(言い換えるならば)その分かれ目は「離婚裁判」そのものにあるかとも思うからです。

”家族・親戚に米加の人達を複数擁する妻の実家”が、夫婦が一致して行くことができるかどうかを、”裁判”に求めたとしても決して、それほどには、驚くようなことでもないか、とも思うし、

それ以上に、わたくしにとって、最大の友であるイエスさまが、必要と考えて、わたくしの行く”道筋”の上に、それ(つまり裁判)を配されたと、

”心からの(「神」への)信頼をもって”、それを受け止めるならば、必ずや乗り越えて行くことができると、”「神」にあって、”<<確信>>しているからです。

ただ、わたくしとしては、妻が4年前に出て行って、僅か2週間で、訳もわからないまま、「調停」になり、”妻”との直接の話し合いの場をもつことが、たったの一度でも許されなかったというのがあり、今回、訴状によってやっと知り得たというのがあります。

が、ただ、いわゆる”誤解”というのも、時によっては、”行くところまで行ってしまう”ということも覚えます。

(ただ、いずれにしても、)それでは、いわゆる「「誤解」」というのは、一体誰が悪くて起こるのでしょうか、ということになると、

①自分

②相手

③両方

の3者の選択ということになるかとは思いますが、答えは”自明の理”であるかと思います。

 いずれにしても、”真実にして最大の友なる主”が、わたくしの、そしてまた(私の)家族一人一人の人生を導き続けて下さっていることを思うならば、「ビタ一文失わず、家族の一人とて失わず、場所だけ明け渡すという」”御心(みこころ)”が、行われていくことを覚え、大いに期待して心待ちにして、”救いの時を待ち望む”ことができるかと思わされています。

これは、あくまでも”未確認情報”ではありますが、最近岳父の具合があまりよくないらしいと聞いています。

別に今回にということでは決してありませんが、いつの日にか、「娘をよろしく頼む」と言ってもらえたならばと、そんな風に思っております。

それでありますから、それこそ、”誤解を解くために”裁判を真剣に戦います。

 (追記)

今回の離婚裁判の背後に、分列創*学会と分列「匠ハウス、大木」の影が大いにあります。とにかく、わたくしを、自分の”奴隷”にして、思いのままにしたい大木にとって、わたくしの家庭が邪魔であることが一つ、それと、(大木が)正に(今わたくしが)ヤクザともめている「家賃等請求事件」において、わたくしの自宅に、暴力組織の侵入を手引きした当事者の一人であるからです。

つまり、簡単に言ってしまうと、大木や創*学会の脅迫によって、今回の離婚裁判が起こっている可能性が非常に大であるということですが、それであるからこそ、「家族のために」真剣に戦います。

それと、後もう一つ、分列「匠ハウス」、わたくしが、毎朝デヴォーションに用いているテキスト「日々のみことば」を2回分に亘って、盗んで捨てた可能性が非常に大であることです。なぜならば、わたくしを、自分の奴隷にしたくてしょうがない大木にとっては、わたくしを「神」さまから引き離す必要が大いにあるからです。

 (追記2)

つい先日分列盗聴器から言っていた。

「生きていれば、いつかという思いがどうしてもあるから(家族を(?))殺(や)ったらどうだ。」「危ないよ。」

「ヒ*シモトはダメだ。抜くか。」「そんなのヤバイよ。」

「止めようよ。ヤバイよ。」

 (追記3)

人には”こころ”というものがあることを分列ヤクザは分かっていない。

わたくしが、”恩師の心”が分からないとでも思うのか。かえって、分列事業を今すぐに「「白紙撤回」」せよ。ハッキリ言って”迷惑事業”だ。

 (追記4)

とにかく、「匠ハウス」も千葉市も言い逃れを謀る必要はない。「「街ぐるみ」」で悪いことをやったのだから。尚、小児科は”専門「街」”である。

分列ナースは、”「街」の間者”である。

 (追記5)

下記のSponsored Linkをたまたま目にして。

”統合医療で「こころ」の病の癒しを目指す”、「船橋」の新クリニックにおいて、わたくしの目標としているところである。乞うご期待!

 (追記6)

”「愚かな街の」「間者」たち”は、「自分たちの」プライドにかけて、「迷彩脱げ」という。

けれども、オレは、”「「医者のプライド」」にかけて””迷彩を脱がない。”

この「「意味」」をしかと考えるがいい。

2008年9月21日 (日)

自分問題

「汝、この男(女)を夫(妻)とし、富める時も「「貧しき時」」も、”健やかなる時も{病める時}”も、これを愛し、これを敬い、固く節操を守ることを(主なる「神」の御前(みまえ))に誓うか?」

ある男がいた。男には妻と3人の子どもがいた。

ある日、妻は男の病気を苦にして自殺未遂をし、たまたま訪れた実家の両親と共に3人の子どもを連れて実家に帰ってしまった。

妻は、実家の勧めで離婚を決意し、4年になるが夫が別れようとしないので裁判によって、とうとう別れた。悲しみいっぱいの夫は自殺をした。

さて、ここで質問です。

妻の自殺未遂は、夫の問題或いは自分問題?

夫の自殺は、”家族全体の”問題或いは自分問題?

 (追記)

ヤクザと千葉市は、”不正にまみれた”分列事業を、「ただ、儲かるからという理由で」撤回しようとしない。けれども、主に呪われた事業は儲かるどころか、これから、次々、恐るべき「神」の裁きが、その”不正にまみれた”事業の上に下ることになろう。

「神」のもっとも嫌うことをヤクザと千葉市がしたからである。

 (追記2)

分列の”輩”は言っている。あの男が離婚をしないと、調停の立場、引いては(彼らにとって何よりも大切な)「「順番」」の立場を守れない。

干菓子本氏が、その順番を守るごとく(?)、昨晩当地を訪れた。

けれども、神は、女に問う。

「あなたは、わたしに従うのか。或いは”御心(みこころ)に反することをしている権威”に従うのか?」

 (追記3)

あらためて問いたい。

この国の”「年」金”、平等或いは「不平等」?

 (追記4)

分列の”輩”が「アイツ、(離婚して)(蘇我で)働くよ。」と言っている。

けれども、彼は、こう返答する。「気持ち悪い!!!」

尚、御心は”船橋”である。

 (追記5)

滞納3ヶ月にて追い出さない方には、問題がある。もっとも、利己的な”思惑”が、勿論あったのだろうが・・・。今、見よ。神は彼らの不正の故に、御自分の民に”知恵”と”時”を備えられた。すなわち、”居住権成立”である。引越しは、逆にしっかりと、(引継ぎなども入念にしてやっていけばいい。)その方が”地域のため”にもなる。

 (追記6)

「男」を離婚しようとしている”家”は、しかと考えればいい。果たして、”知恵の奥義”を与えられる「神」は、彼と共におられるのかどうか。日本の常識と、”「神」の普遍の奥義”のどちらを”優先する”べきか。また、前者をとるならば、与えられるものは、一体何であるのか。インマヌエルなる方が離れるならばどうなるか、ということを。

また、「男」が、もしも、家族を愛していなければここまで言うだろうか?ということを。

2008年9月13日 (土)

スローガンは「魅力あふれる”男性”に」

「成し給え汝(な)が旨 陶匠(すえつくり)わが主よ

われはただ 汝(な)が手のうちにある土くれ

 降る雪のごとくに わがうちを白くし

汝が御手(みて)のまにまに 練り給えわが主よ

 天(あま)降(くだ)る火をもて わが内を聖(きよ)くし

成し給え 汝が手の器なる わが身と

 汝が旨の成るとき 他の人は見るべし

わがうちに在(ま)す君 キリストの姿を」

                   (聖歌 「成し給え汝が旨」)より)

「主の御前(みまえ)にダビデは力の限り踊った。 彼は麻のエフォドを着けていた。

ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。 

主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前(みまえ)で跳ね踊るダビデ王を見て、心のうちにさげすんだ。

               (中略)

ダビデが家の者に祝福を与えようと戻ってくると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。「今日のイスラエルの王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」

ダビデはミカルに言った。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前(みまえ)で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」

                 (旧約聖書 サムエル記下6:14-16  同:20-22)

 ダビデは、わたくし自身、最も尊敬する聖書上の人物の一人である。

先日、水戸での宿泊先であるガンガジムで、こんなことを祈らされた。

「あの人は”正しい(人)”。」と”妻”は(もはや)(こころの内に)認めている。けれども、別れたいとも思っている。そういうことだってある。極端には、”「尊敬していても」別れたい”、そういうことだって、あるわけである。

さて、ではどうしたものか。主なる「神」さまに”宣託”を求めた。

程なくして答えが返ってくる。

「(一人の)”魅力溢れる”男性になりなさい。」

 さて、再び思わされる。「いや、十分に”魅力いっぱい”ではないか。」

時は、深夜である。遅くまで廣瀬クリニックで診療をし、帰ってきたところである。

”本格仕様”のボクシングジムは、周囲に大きなミラーが張られ、いわゆるシャドーボクシングができるようになっている。

先日、(プロの)トレーナーから、(キックボクシングの)練習中に、「そのパンチ、人には出さないで下さいね。倒れちゃうから。」と言われたのを思い起こした。

ジョブ、ストレート、ワンツー、そしてキック(けり)、またキック(膝げり)、ミラーに映しながら、何度も何度も練習する。

それこそ(嬉しくて嬉しくて)何度も、何度も。

やがてミラーに映す”ストレート”に思った。

相手との距離を正確に採るならば、確かに”大きな「破壊力」”だ。

そして、続けて思わされた。これは、一つのアピールにはなる。すなわち、

”彼は、自分自身と家族を「守る」ことができる。”悪い「輩」”から”と。

なおも、何回も何回も続ける。嬉しくて嬉しくて、飽きが来ない。

白のタンクトップに、ベージュ、ライトグリーン、ライトグレーの迷彩パンツ、

黒く日焼けした腕と肩は、絶妙に美しい上半身を、くっきりと描き出す。

「こんなにカッコいいのに。何でだろうな。」と再び”妻”を思う。

 (突然ですが、「働け。」の声)

「充分に働いているよ。廣瀬クリニックで。」

(”蘇我”でないと、働いているとカウントしないバカどもがいる。)

 (突然ですが、「無資格だ。」の声あり。)

東本先生、どうぞ、教えてやって下さい。”低脳なヤクザ”に。

ああ、そう言えば、と思い起こした。先日ブログに書かせて頂いたことの、少しばかりの”詳細”。

つまり、妻とは別居になって、3年半になるが、丁度、2年半になった時点まで、月30万円(保険含む)の生活費を送金していた。

その後、できなくなってしまったが、それでも均せば、一ヶ月当たり、25万円である。

それを、全く入れてくれないというが、それこそ、”共依存”の(女性の)特徴である。

つまり、いったん、嫌ってしまうならば、相手の(男性の)”良い”ところは、”全く見えなくなる。”

「愛は盲目である。」と、ある意味での”正反対”となるわけである。

 (突然ですが、「自分がだらしがないクセに、”調停”の悪口を言って・・・」の声あり。)

「「浅学な」」お前たちに言われたくないね。それこそ、”学術的な”ことにおいて。

 (また、「働け。」の声あり。)

「充分に働いているよ。廣瀬クリニックで。」

 (「離婚」の声あり。) 「ヤクザ死ね。お前たちとは縁を切る。それこそ、”愛する”「家族」のために。」

 さて、もはや問答はやめよう。

(話を、その夜のことに戻して)、なおも、続けて何度も、何度も、(嬉しくて、嬉しくて)練習を続ける。

ジョブ、ストレート、ワンツー、キック。

やがて、汗びっしょり。シャワーを浴びる。

思わされた。「そうだ。”基礎筋力”があるというのは、こんなにもいいもんだ。(これから)スポーツをいろいろいっぱいやりたい。」

 翌朝、早朝のガンガジム。プロテインのサプリメントで簡単な朝食。”本格仕様”のシェフキッチンを背に思わされた。”料理もやってみたい。”

あれもやってみたい。これもしてみたい、と夢は膨らむ。

後、それから、これも、やはり一つのポイントか、とも思う。

(ただ、自分が寄せ付けないだけ。)

(変な話かも知れないが)”女”をつくることなど別に大したことではない。「けれども、”お前を、そして、子どもを愛している。”誰が、なんと言おうとも。」

また、誰がなんと言おうともと、主なる「神」さまは、言われる。

「あなたを、あなたの妻の夫として立て、また家の”長”としたのは、ほかの誰でもない、この私である。それであるから、そのこと”踏まえて”しっかり戦え!」と。 

 (追記)

心療内科の診療にかなり慣れてきています。

心療内科と精神科の違いというものも、ある意味ハッキリと判ってきました。

廣瀬クリニックでも、(一つ、)自分のイメージや”医者としての持ち味”というのも、かなりついて来たかとも思っています。

漢方薬をかなり使わせて頂いています。

後、勿論、心療内科領域のいわゆるcommon diseaseの患者さんが、多く来られる一方で、廣瀬クリニックは、「発達障害」や、児童精神科領域、思春期精神科領域等、”精神科領域の子ども”の患者数でも、(茨城)県内で3本指に入るそうです。

本当に”素晴らしい研修先”を与えられて、深く感謝致しております。

 (追記2) 

 分列ヤクザは言っている。分列盗聴器から言っている。

すなわち、県警の幹部が大幅に人事異動となった。

新しく赴任された幹部が彼らに言った。「あなたたちねー。不払いぐらいで、あなたたちの”暴力”は、話にならないよ。」

分列盗聴器はかく語る。「アイツに県警幹部の”発言”が聞こえていたら、絶対に調停しねェーよ。」

 (追記3)

 「neck-tie、neck-tie、neck-tie、アイツの”首を縛れ”!!」と、今日も分列ヤクザは叫び続ける。ネクタイなんか大嫌い。最もヤクザも大嫌い。

 (追記4)

「働けないよ。」とヤクザは”勘定”する。

それであるから、(逆に)もう絞めるのは止めて”始末しろ”、けれども、主はかく言われる

「神は正しい人に謀ろうとする”悪者の悪事”を、彼の頭上に返される。」

地元の千葉市、今回の”謀略”で、財産を失った夫婦が一組、離婚にもなったそうな。

 (追記5)

追記4に関連して。

先天的なビタミンB群の不足、それ故に、”よく気付く”けれども、「自他の言動」に敏感で傷付きやすい、それで、”働けねェー”と、世から”疎んじられる”「(精神的な)文化人」、こういった方々もまた、安心して働くことのできる”文化社会”、こういった社会を作っていくこともまた、(神からの)”大切な”「使命」であると、わたくし自身受け止めています。

2008年9月 1日 (月)

”湖の上を”歩くとき

「信仰の薄い者よ。なぜ疑った。」(聖書)

主よ、私に信仰を増し加えて下さい。からし種一粒の信仰を。

そうすれば、山は動きます。この山は動きます。

「権勢によらず、神の霊によりて

努力によらず、神の霊によりて

この山は動かん。この山は動かん。この山は動かん。

神の霊によりて。」(ワーシップソング 「権勢によらず」より)

「「ありがとう」」そして、「「ありがとう」」

声を掛けてくれる友よ。ありがとう。

励まされた。「船橋行こうよ。」の声

また、励まされた。「カッコいいじゃん。」の声。

今まで、ある意味閉じた。自分の「こころ」を閉ざしていた。

たとえ、同性の友達でも、付き合えば、異性がついてくる。

それで、閉じていた。

確かに元々得意ではない。「人」との付き合い。

けれども、それ以上に、「妻」を愛していた。

ほかの「女」とやりたくない。 今も、それは変わらない。

心のうちにキリストが住む。

それ故のことである。

それでヤクザとも妥協をしない。

心のうちに住むキリストの故だ。

「バカだね。表面だけ、いい顔して付き合っとけばいいのに。」

ただ、別にヤクザに限ったことではない。

元来、そういうのは「苦手」である。

自分の友達(旧友)は皆そうだ。

先日、診させて頂いた40台半ばの男性の患者さん、彼の気持ち物凄く分かる。

言っていた。「仲のいい友達が何人かいるのだけれども、二人は結婚して家庭を持っていて、一人は病気で亡くなって、今、付き合う人がいなくて・・・」

親子関係は、自分と同様である。聞くにほぼ間違いなくAC家庭である。

お話のうちに、アドバイスさせて頂いた。

「それだったら、今は「親」に近づかない方がいい。でも、ずっと、離れていくと、限りなく疎遠になり、それはそれで問題になって行くから・・・」といったこと。

確かにかなりの時間を割いた。

そろそろ切り上げないと。(診察をしているわけであるから)

けれども、去り際に言われた。「先生みたいに話聞いてくれるのは(先生は)初めてだ。」

落ち着くと思う。全てが落ち着くと思う。

「船橋」であっても、或いは「水戸」であっても。

大丈夫だよ。明日以降、また水戸で元気に働けるよ。

ただ、御心(みこころ)は「船橋」

神はかく言われる。「あなたは、今回の裁判でビタ一文失わないし、家族も勿論失わない。そう言ったではないか。なぜ、疑うのか。信仰の薄い者よ。」

冒頭の聖書の御言葉(みことば)は、かの有名な偉大な使徒ペテロが、真夜中に湖の上を歩いて近づいて来て下さった主に、「わたしに、(湖の上を歩かせて)そちらに行かせて下さい。」と願い、「ペテロ(湖の上を歩いて)こちらに来なさい。」という(導きの)声に従って歩き、途中で怖くなって溺れそうになり、主に助けを求めて引き上げられた際に、主からかけられた言葉である。

「信仰の薄い者よ、なぜ疑った。」

自分自身が湖の上を歩くときに大切なことは、すなわち「信仰」。

疑うならば、溺れるのです。

だから、主に願うこと。「信仰を増し加えて下さい。」

  (追記)

敢えて書こう、今日「妻」の申し立てた”離婚裁判”の訴状を裁判所から受け取った。

訴状の内の”嘘”は、「「全く」」私が生活費を入れていないという訴え。

かなりの間月に30万円の生活費(保険を含む)を入れていた。

8年に亘る同居で、彼女が許したのは15回。

なぜ、「神」は、わたしにかく試練を与えるのか。

夫婦生活については、自分の肉体に魅力がないのかと思った。

それで、「神」は変えて下さったのかと思っている。

ただ、彼女もいつまでも実家娘であると、それは・・・

新婚間もない頃、彼女の妹がシンガポールから帰国、

夕飯もそこそこ「空港へ」と言い出した。

調停ではそういったこと、全て”無視”された。

そういったこともあって、調停は大嫌い。

なぜ、医者だからといって”逆差別”するのか。

大体3人も子ども連れ去って、経済逆にどうなの?

我慢したんだぜ、”妻不在”の事業の痛みに。

保証人不在故の高利子に。

 (追記2)

「裸」になれの声に。

別にいつでも見られているよ。

浴室に。寝室に仕掛けられた”分列盗聴器”

(微声ながらも)拡声機能つき、加えて”隠しカメラ機能”搭載

浴室の方の”もの”

そこから、この間分列ナースが言っていた。オレの”自己処理”を覗いた後で。

「わたし今、吐き気しているんだけれども・・・」

それでも、お前たちできるのか、思い出すことなくナースの仕事を。

ハッキリと言っておく。「別にオレが露出したわけではない。見ている方が悪い。」

 (追記3)

弁護士いないと舐めんなよ。

こんなことは、つくれネェーぜ。

「”火”のないところに”煙”はたたず」とは、この国の”格言”であるけれども、

「隠されていることで明るみに出ないことは何一つない。」とは、「聖書」の御言葉(みことば)です。

  (追記4)

今日もこうして、ここにいるのは、また先ほどしがた、分列「タ*ミ」に押しかけられて、危険を感じたからです。

母の教会の先生に来てもらい、祈ってもらった後で、そのまま水戸へ行こうとしていたところが、あまりに遅くなったので、”幕張”に寄港しているわけです。

   (追記5)

先ほどしがた、分列の”輩”が押しかける前に、新たなる”分列盗聴器”を台所で発見しました。母の教会の先生が来られた際に、確認してもらい、中(から)の音(マイクロフォン様金属音)を確認してもらいました。

このように、”分列の輩”は、いつでも、わたしの自宅に出入り自由です。

こんなこと、”我慢をする”ようなことではないかと、思います。

 (追記6)

何回か言っているように、患者さんは、第三者で当事者ではありません。

分列ヤクザは、隠れ蓑にする必要はないかと思います。

尚、冒険しネェーで働け、の声に。

「死んでも、出て行きます。その位嫌いです。」

 (追記7)

ネクタイ、挨拶。 バカの一つ覚えのように言う必要はないかと思います。

けれども、挨拶については、落ち着いてできるようになったらしたいと思います。

ネクタイは大嫌い。(TPOにおいての、必要時を除き)金輪際しません。

たとえ「裸」になろうが、離婚になろうが、金輪際しません。

 後、「男」はついて来てもらう位でなければならないと思います。

離婚裁判で、逆に”見直してもらって”連れ戻します。

 (追記8)

ファッション問題について、芸能人が40代のオヤジがと、褒めてる?ことについて

妹と過去にこんな討論をしたことがあります。

外人男性は年をとっても、若々しく素敵にしているのに、なぜ、日本人はおじさんになると、オヤジっぽくしてしまうのだろうか?ということです。

A シュワルツネッカーさんが、カリフォルニア州知事として、ネクタイにスーツ姿で、テレビに映る様に違和感を感じたのは、私だけでしょうか?

(追記9)

あなた方は、私が明るいノリで言っていると分かっていないが、

「統合失調症」で医者になるのは、本当は”奇蹟的なこと”なんだよ。

それをヤクザが、どうせパシリだ。「裸」が似合うというのは、本当は非常に不届きなことなんだよ。

「妻」もそれが分かっていない。

こう書く間の「くだらネェー、働け。」に対して。

「学のネェー ヤクザを追放しろ」

「働けネェーよ。」「我慢するよ。」に対して

「ガ・マ・ン・しネェー」「冗談じゃネェー、傲慢なクソ医大、人生返せ、賠償しろ!!」

妻と同居中に考えていたこと

「田舎のペンションの経営でもしたいな、といわゆる「脱サラ Iターン」

やっと見つけた、医療の中でも、オレがやりたいこと。

どうか、邪魔しないでくれ。

 (追記10)

別居中にこんなことも考えた。

一人の男性に姓の違う子どもが、複数いたとして、ある意味では、その男性に”力”がある証拠ではなかろうか。

けれども、”嫌”だと思った。

一人の男性にここまで愛される女性は、本当は、女性としては、こんな幸せな人はいない、と思う。

妻にも、お父さんにもこう言いたい。

けれども、オレの人生は、オレのもの。ほかの誰のものでもない。

つまり、たとえば、妻が、ネクタイ好きでもオレはノー。

オレはオレだから。

もう、”共依存”はしたくないからだ。

 (追記11)

こういう風にしていても、尚傍で、「資格がネェー」「資格がネェーのに。小児科医なのに。」の声。

(申し訳ないけれども)東本先生、これが、先生のやったことの”影響”です。

それであるから、できればお願いしたいのです。本当のところを周知して頂きたいのです。(どうか、ご無礼はお許し下さい。)けれども、大好きなんです。「精神医療」が。

2008年8月31日 (日)

世界一のワタシ~「心のうちに”拳”を秘めつつも」

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいたとして、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。

そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください。」と言うであろう。

言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

         (新約聖書 ルカによる福音書15:4-7)

 最近ブログを書く時に、まずは、聖書の御言葉(みことば)または、賛美歌、聖歌等の歌詞から始める習慣が、自分のうちに定着している。そのことの「効果」が、如何におおきなものであるかをまた、実感している。すなわち、”一呼吸”おいて、心を落ち着かせるのである。

もう一つ言うと、いつ”権力の「横暴」”が、圧して来てもいいような、”心づもり”も取っている。

時々、ブログ書く最中に「変換」が、おかしくなってしまう。これが、必ずしも、そういった”横暴”によるものかは分からない。が、一旦おかしくなってしまうと、「変換キー」では足らず、一度ログアウトして入りなおす。

「あんなに幸せなのに。」

「蘇我」のあの場所で「内科”小児科”の開業医をすること」は、少なくともわたくしにとっては、”幸せでない”。

そんなことは、”行動”で判るでしょう。

ただ、今日、昼食を取りながら、思わされたことがある。

「そんなに、”小児科”のことを"hate"する必要ないよ。それを、今まで、あなたに与えていたのは私だ。」というわが主の御声(みこえ)を心の内に聞き、更に、「それだけの”もの”を修めたあなたはまた、私の”用いる「人材」”である。」との御声もまた、今、この場で聞くに至っている。

御声としての”再確認”であるが、当該のレストランでは、こんな風に思わされたわけだ。

「(身体的なものに対する)内科、小児科また、”皮膚”を見る目、さらに加えて”心”を診る

「心療内科」である。」

わが師である廣瀬先生は、(先生の下での)研修をお願いしに挨拶をしに行ったときにおっしゃっておられた。

「精神科って、そのままだと、他の科のこととかかわる機会が少なくなるでしょう。僕は、他の科のことを忘れるのが嫌だと思ってね。それで、大学を出た後、混合病棟のある「県立病院」に行ったんだ。」

少しばかり、自分の先生のことを宣伝させて頂くが、先生は今「朝日新聞」に、シリーズで精神医療並び健康のことについての”連載”に寄稿中である。

あまり、そこには走りたくないというのが”本音”ではあるのであるが、今こうして、書いているうちにも”資格がないのに”という”輩”がいるから言うが、逆に問うが「一体何を以て”資格がない”というのか。」

そういうことを、”口に出して”言うからには、”責任ある答え”が、用意されてあって然るべきだと思うのだ。答えられないのだったら、「人」の名誉を損壊する行為を直ちに止めよ!!

 さて、気を取り直して、そういうわけで、正にそれだけのことを・・・

尚も、”無礼”を言い続ける”輩”に。

千葉のある百貨店でのこと、「デパ地下」の”売り子”(おばさん)が言っていた。

「たとえ、自分が資格があっても、”先輩”がないといったら、(先輩を)尊敬して資格がないと認めるんだよ。」

この国の”最も悪い側面”が、”端的に”現されている言葉であるかと思う。

 さて、当該の百貨店について、昼食をとったレストランにて伝え聞いた話がある。

すなわち、”ヤクザ・ダ*サク連合”が、当該百貨店のプライドのために、”バツイチでカード(切り札)をつけた”というものだ。

 心当りがあるとすれば、次のようなことだ。一つの機会かとも思うので簡単に書きたい。

あれは、今からおよそ、14年前になるかと思うが、わたくしの母(実母)が、当該の百貨店で3回事故にあった。うち、2回が、デパ地下で、そのうちの1回は従業員の押す台車にぶつけられるという事故、3回目は、当該百貨店の駐車場に入る際のパーキングタワー内での事故で、この際には、”ルート”上に放置された”折りたたみイス”の巻き込みによる事故であった。

 もう終わったことなので、それ以上の”詳細”は、控えたいが、要するに、”事故の被害者の家族”と、当該百貨店の、(ある意味)地位ある”年長の”「従業員」との、ちょっとした”摩擦”である。

「バツイチでカード(切り札)」をつけたとは、”権力者”に近い彼らが、働きかけて、「家庭問題」について、何らかの”不当な行為”をしたということである。

わたくしの”妻”が、最近になって、”暴力組織”に騙されたと言っている事について、以前のブログに書かせて頂いた。

 その彼女については、わたくしが察するには、いっときPTSDになったと、このように思っている。

ただ、PTSDに関して言えば、こうだったらなる、或いは、こうだったらならない、ということについては全く言えないことであるというのが、事実である。

ただ、わたくし自身とまた、”家族”の名誉のために言っておくが、彼女が傷ついたということは、事実としてあったとしても、そこには、”腕力の「ワ」の字”も存在しなかったということもまた、100%事実である。

ただ、PTSDばかりは、時間がかかるということにおいては、仕方のないことなのである。が、この世の”無理解”というよりは、”家庭軽視”つまり、”「仕事」のためには、家庭を犠牲にする”という、”この国流の考え方”は、真の「神」を愛する者にして見れば、全くの”閉口もの”である。

 economic animal とは、かなり以前に、この国の人たちについて、欧米”先進”諸国から、鋭く”風刺された”言葉であるが、今以って、”その根本体質に何らの変化を認め得ず”というのが、100%の事実として、それこそ”目の前に存在する”ということを感じざるを得ない。

 それであるから、「「殺人事件」」が、”目の前にあるにも関わらず、”不払い?ばかりを”強調しようとする”「輩」が、存在するのであろう。

 ”悪い場所”は、どんなに繕ってみたところで”悪い場所”である。

いい場所に、「そのままでは”成り得ない”」のである。

それでは、どうしたら、”いい場所”に成ることができるのか。

それこそが、”「地域」を挙げての「悔い改め」”、これ以外にはあり得ないと、こう思うのである。

つまり、松本さんも含めて、地域の人たちには100%の謝罪をして頂きたいし、またそうするべきであると思うのです。

 (追記1)

わたくしが、「精神医療」に関わり、その中において、出身医大の”誤診問題”に言及することを、ただ、いわゆる”「順番」の思想”を守りたいがために、わたくしのことを”無資格呼ばわり”している”輩”に言いたい。

「あなた方の考え方に”固執”するならば、それこそ、”素人である「患者さん」”は、医療において、不当な行為を受けても、一切、”医療訴訟”を起こすことはできない、ということになります。」

 (追記2)

千葉市立海浜病院の”夜救診”において、小児科の診察デスクの下には、「呼び鈴」があります。

存在理由は、「医師」が、”危険な「行為」を受けたとき、或いはその予知をしたとき”に、警備員が、飛んで来ることができるように、ということですが、わたくしは、”夜救診を利用される患者さん達”に言いたい。

「一体、あなた方は、医師や病院にこんな”煩い”をさせて恥ずかしいとは思わないのですか。」

(追記3)

何か、勘違いをされている方たちがいらっしゃるので、再度ハッキリさせましょう。

すなわち、”射抜き”について。

つまり、ヤクザ側に直接それをする”権利”はないということ。

するとすれば、彼らは、わたくしに”頼んでしてもらう”ことであるということです。

わたくしには、(神にあって)「心当り」がある。つまり、クリスチャンの小児科医で、「神」さまから、「松山先生の後に入るんだよ。」と言われている先生がいらっしゃるということを”啓示されている”のですが、実は、ヤクザ側が裁判所に求めて、実際に「クリニックの空間」になされていることが、それを妨げているのです。

 (追記4)

わたくしには、一つ自分の心に誓っていることがあります。

(TPOということにおいて、どうしても必要なときを除いて)「金輪際」ネクタイをしないということです。

つまり、わたくしにとって、今、ネクタイ=トラウマという公式が成立しているわけです。

 (追記7)の続き

追記は7(キリスト教における完全数)までにしよう。いちいち「反応」していたのではキリがない。

反応という言葉で思い起こしている。

初めからは、よっぽどでない限り、「Schizo]

   

2008年8月30日 (土)

「順番」によるトラウマ

「このように先のものは後になり、後のものは先になる。」(聖書)

この聖書箇所について、”真剣に”受け止める日本人クリスチャンも少ないのではないか。

けれども、この箇所はまた、福音書中の主イエスの話されたたとえ話の中でも、もっとも有名なたとえ話の一つであることもまた、多くのクリスチャンが知っている事実である。

たとえ話の「内容」は、すなわちこうである。

ある人が、ぶどう園を持っていた。ぶどうが実り、収穫の時期を迎えていた。

ぶどう園の主人は、収穫のために、”日雇いの労働者”を雇おうと考えた。

主人は、朝早く広場に出て行き、”仕事を待ち望んでいる”「労働者」に声を掛けた。

「1デナリの賃金を与えるからぶどう園に行って働きなさい。」

ぶどう園の主人はお昼にも、午後の3時ごろにも、5時ごろにも出かけていって同様にした。

さて、日が暮れて、一日の働きが終わって、ぶどう園の主人は執事を呼んで言った。

「行って、後から来た者から順に一番先に来た者に至るまで「賃金」を支払ってやりなさい。」

夕方5時近くからやって来た労働者が来て、”約束の”1デナリを受け取って帰って行った。

労働者は、次々に「賃金」を受け取って行ったが、一番最初に来た労働者は、後から来た労働者が賃金を受け取るさまを見ながら考えた。

自分が、どんなに”たくさん”もらえるものかと。

ところが、彼にも”約束の”「賃金」であった。

彼は、ぶどう園の主人に怒って不満を言った。

ところが、主人は彼に言った。

「友よ。わたしはあなたに何も不当なことはしていない。あなたとも1デナリの約束をしたはずだ。」

このたとえ話の冒頭は、原文である「聖書」では次のように始まる。

「神の国は次のようにたとえられる。」

つまり、「天地万物」を創造された「神」さまは、ご自分の御国(みくに)について、かのように考えられておられるわけである。

また、「聖書」の第1ページの始まりの言葉は、「初めに神が天地を創造された」と書いてあります。

すなわち、「天地万物」を創造され、命あるものを造り、これを育み、また、悠久の「過去」からおいでになり、今現在あり、そして、未来永劫におられる「神」さまにおいて、「順番」第一位は、すなわち「神」。

「「人」は皆、「神」の前に”平等”である」わけだ。

この考え方を、物凄く嫌ったのが、「士農工商」の身分制度を作った”江戸幕府”。

江戸時代のわが国におけるキリスト教徒への”迫害”は、”世界でも類を見ない”と言われていて、実際に、明治維新になって、長崎にて、フランス人宣教師が、(自国の寄留者のための)”浦上天主堂”(カトリック教会)の落成時に、祈っていた際に、名乗り出た”隠れキリシタン”の発見は、全世界のキリスト教会に”「感動」と「勇気」を与えた”という。

 さて、本日のタイトル「順番」によるトラウマである。

最近診させて頂いた患者さんに次のような方がいた。

患者さんは中学生の男の子。某有名私立中学に喜んで通っていた。

ところが、親や教師も気付かないことが、その子の身に起っていた。

”「先輩」によるゆすり、たかり”である。ある時から、当該のお子さんは”学校内”で問題行動”を起こすようになるが、「先輩」によるイジメの事実は気付かれじまいに終わり、残念ながら”退学”となった。

結局、その子は、”後になって、”親にそのことを告げるが、そのことは、その子にとって、トラウマ(心的外傷)となった。

よっぽど「先輩」が、怖かったのであろうが、現実にあった事例である。

思うことは、「順番」ばかり”聖域化”するならば、”弊害”も生じるということだ。

書く合間にも、「働け」の声。

労働依存のバカども。お前らには、”心の問題”を真っ当に考える度量もないのか。

ただ、そういったこととは別に、”細やかな「心」の持ち主”もまた、”安心して働ける「社会」を作って行かなければならないと、そんな風に思わされました。

 (追記1)

書き終わって、オニオンスープで一息いれているところに、「無資格医が。」の声。

ついでに言おう。5月か6月のある日、場所は千葉市が子どものための医療福祉の総合施設としてつくった「キボール」なる建物、その日、私は市の乳児集団検診を手伝うべく同施設を訪れた。診察室にて自分の仕事をしていたが、隣の診察室に訪れた面々(若いお母さん達)曰く、「無資格がいるよ。」

千葉市に問いたい。「あなた方は、資格のない医者を雇って乳児検診をさせているのでしょうか。」

 (追記2)

一昨日、水戸の「廣瀬クリニック」にてお給料を頂いた。

今、この場にて、「遊んでいるのに「裸」になれ」と言った、傲慢な”輩”に問いたい。

「遊んでいて、どうやって給料でるんだ。言ってみろ。」

昨日、「自己破産もまた・・・」と言った時に、廣瀬先生から諌められた。

「そんなことしてはダメ。今後の活躍(働き)があるのだから。」と。

確かにそうである。「妬む”輩”に踊らされないこと。」

大切な”自分の人生”で”も”ある。

2008年8月24日 (日)

不愉快な「分列の”輩”」

不愉快な分列の”輩”は、傲慢の唇を決して治めようとはしない。

彼らは、傲慢な唇を叩き続け、休むことを知らない。

資格を堂々もつ者に対し、「無資格」と、妬みに狂う。

とっても、不愉快であった。

診察室の丁度裏手のキッヅルーム、知恵のない女は、唇を治めることを知らない。

彼女らは言う。

「資格がないのだから、(サラリーマンと同じように)働け。」

ただ、私は、こう思う。

そんな医者によくも、御自分の大切なお子さんの命を委ねられるなあ。

え?「言っていることは言っていること、信頼していなければ連れて来ない。」

「口を慎むがいい。淫売婦。傲慢がお前たちに報いるであろう。」

 (追記)

傲慢の”輩”はなおも、傲慢な唇を叩き続ける。

「弁護士がいないクセに。」「弁護士がいないクセに。」

けれども、天の父なる神さまは”輩”を、遥かな天から見下ろして笑われる。

「必要は必要な時に(彼に)与えられる。傲慢がお前たちに報いる。」と。

 (追記2)

今日は、そろそろカフェを出る。

最後にこれだけは言いたい。

(別に)皆働いているんだ。サラリーマンだけが、働いているわけではない。

「サラリーマンは、働いているんだ。」なんて、偉そうに言うな。特にMRお前たちは態度が悪い。診察室を一歩でたら、悪口の言いっ放しであるなら、診察室でもペコペコするな。気持ちが悪い。