人知を遥かに超える「神」の御思い(みおもい)
「幸い薄く見ゆる日に 孤独に悩む時に
わが恵み汝(な)れに足れりと 静かな声を聞きぬ
さればわれわが目を上げて 十字架のイェスを仰がん
ああ汝(な)が愛を思えば われに乏しきことなしと
愛する者を失いて 希望の消ゆる時に
われ汝(なんじ)を独りにせじと 優しき声を聞きぬ
さればわれ笑みをたたえて 友なるイェスに応えん
ああ汝が愛に生くれば ************」
(聖歌 「幸い薄く見ゆる日に」 )
母が、この2ー3週間というもの調子が悪い。
「ごめんネ。こんな病気のお母さん、役に立たなくてごめんネ。」
なぜ調子が悪いかは、言うに及ばず、息子のことが心配だから。
もっと言えば、(言葉にこそしないが)息子の家庭問題に責任を感じているから。
けれども、オレが言い及べば、
「お母さん、生きていないで。」と言っているのと同じになる。
問題がある時に、その問題ばかり見つめるならば、そこには、”底なし沼の「絶望」”があるのみとなる。
本日の職場での勉強会は、ゲシュタルト療法の続き、
その中で、次のようなお話があった。
すなわち、ゲシュタルト療法において、
セラピーを受けるクライアント(患者)の抱える問題点を”「焦点」化”しようとする時に、
”「図」(figure)と地(ground)”という見方で見て行く。
例えば、一つの「風景」を創造されたし。
「風景」に、「家」と「樹木」と「太陽」があったとする。
「家」に注目すると、家が「図」であり、樹木と太陽が「地」となるし、
「太陽」に注目すれば、太陽が「図」であり、家と樹木が「地」となる。
また、「樹木」に注目すれば、家と太陽が「地」となるわけである。
「考え」というものが、固着化してしまうと「図」しか見えなくなり、「地」が見えなくなる。
上記の「風景」の例で言えば、例えば、「家」に考えが固着化してしまうと、
地である「太陽」や「樹木」が見えなくなるのである。
急に、今ふと思った。
家を正に、わたくしたちの家庭の「時事問題」、
太陽は「神」さまと捉えよう。
太陽の恵みで育つ「樹木」はなんと捉えようか?
つまり、こう捉えるべきであろう。
太陽にたとえられる「神」さまの恵みで育つ樹木は、
わたくしの家族の一人一人であると考えられよう。
何せ、家族全員がクリスチャンであるわけであるから。
じゃあと、「神」からの恵みの一つを思った。
わたくしに与えられたクリスチャン弁護士。
この度、”「控訴状」を作って下さる”ことになった。
わざわざ、そう書いたのは、頼んだ当初は、
ただ、”「書式」の作り方”だけお教えしましょう、
だったのが、”「控訴状」を作って差し上げましょう”に変わったからである。
わたくしは、このことを、御聖霊なる「神」さまによることであると、
受け止めているわけだ。
中々出会うものでもない。すなわち、クリスチャン弁護士というものにである。
一つの御言葉(みことば)を思い出すのだ。
すなわち、
「あなた方の内に争い事がある時、なぜ、教会で軽んじられているような人たちを
裁判の席に着かせるのですか。
そもそも、その事自体が、あなた方の負けなのです。」(聖書)
もっとも、妻と争うというよりも、ヤクザ問題が「「焦点」」であるわけだ。
なぜならば、今回の「離婚沙汰」に”悪魔の「手先」”の関与は
”絶対的に「存在」する”と考えるからである。
尚、今日は火曜日にていつもの如く主とのお約束を果たした。
戸籍謄本に変化なし。
けれども、不思議な話であるが、繰り返し繰り返し、
この火曜日毎の、主とのお約束を果たし続けるうちに、
”「離婚」100%なし”の<<確信>>を得ているのである。
つまり、”「戸籍謄本」を引き出して調べる”という「行動」を
”「離婚問題」(を考える)という”「考え」にフィードバックしているわけであるが、
今日の廣瀬クリニックでの勉強会の最後に
廣瀬先生が言っていたことを思い、重ねているのだ。
つまり、「「行動」を先に起こして「考え」にフィードバックさせると、
逆に(固着化してしまって、他には考えられなくなっている)「考え」が動く。」ということだ。
「神」さまは、あくまで平等、すなわち、わたくしに注がれるならば、彼女にも”等しい「恵み」”が注がれていると、考えるのである。
<廣瀬先生講話の概略>
10代から20代の若者では、「考える」ということが、どうしても未熟であるため、
「感覚」が先に立つ。
つまり、”「嫌い」になったら「嫌い」”で、「こういう面もあったじゃない」など考えられなくなる。
考えることのできなくなっている若者に行動をさせて見ると、
”「変化」した”という経験を”「豊富」に持っている”。
(追記)
”「未払い」だらけ”のクセに「離婚」しろ”と
ヤクザがのたまう。
だったら、日本は不払いの「戦争賠償金」をちゃんと支払え!!
大手百貨店も然り!!
獨協も”「誤診」による「被害」”への賠償金を支払え!!
マンションの奴隷にされてたまるか!!!!!
たとえ、殺されてもゴーマンションの協力医は断る!!
(追記) (6月24日付)
今朝から、「分列盗聴器」より(それぞれの)「「狡猾さ」」を”「認知」させられている”。
すなわち、
① 「相手があんなに”「調停」を愛している”のに
”「専門外」のために”あんなに争うならば「離婚」すべきだ。」とか、
② 「野良ズボンのためにあんなに家庭を”「射抜かなくても」よかったのに。」
「だって、早く離婚させて女を求めるようにさせないと、地元にアイサツをしないんだもん。」とか、
③ 「オナニーのために”「裸」が出る”なんて初めてだ。」とか、
④ 「廣瀬先生まで、あんなに”射抜く”ことなかったのに。」
「だって、”「地元」であんなに人気があるのに”とんでもないヨ。」とかである。
けれども、わたくしは、今朝のデヴォーションにおいて
”素晴らしい「御言葉(みことば)」を”主から賜った。
すなわち、
「わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」(旧約聖書 エレミヤ書 1:11-12)
である。
そして、その(わたしの)言葉とは言うまでもなく下記である。
「モーセはあなた方が頑(かたく)ななのを見てそう言ったのであって、はじめからそうであったのではない。
(すなわち、)”「創造」のはじめから”神は、人を男と女に作られた。
それゆえに、人は、その父母を離れ女と結ばれ二人は一体となる。
一体となったのであるから、二人はもはや二人ではなく一つである。
神が合わされたものを人が離してはならない。」
(マタイによる福音書に書いてある「記事」で、すなわち)イェスさまを試そうとした「「輩」」が、
「「先生。妻を離縁しようとする者は、離縁状を書いて渡せ。」と書いてありますが。」とわざと尋ねて聞いた時の、
主ご自身のお答えである。
(6月24日付け 追記2)
「もう英語しかないよ。」と
「「輩」」がのたまう。
語学学校L-one(かつて、ダイアナ妃がフランス語を学んだリンガフォンが前進)で、わたくしが学んだのは、
実践的な”医療用「英会話」”である。
もちろん、そのトレーニング以前には、
”基礎「英会話」”のトレーニングも積んでいるが、
当然”「必要」なこと”と考える。
積んで来たトレーニングはすべて、
やがて”「約束」の地”である「船橋」で、
”有意義に「活用」される”ものと考えている。


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