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2009年6月 9日 (火)

わたしの「自己実現」

「人は、誰でも新しく生まれなければ神の国に入ることはできない。」(聖書)

「見よ、わたしは新しいことを行う。それらはすでに芽生えている。」(聖書)

 本日夕、廣瀬クリニックの「不登校児の親の会」に参加させて頂いた。

その中で、TAゲシュタルト療法について、学ぶ機会を得た。

「自己実現のための再確認」という著書をテキストに用いた。

中でも、今日は、最も、肝要となる「再確認」ということについて、学ばせて頂いた。

 TAゲシュタルト療法における「再確認」とはどのようなものか。

人は、8歳ぐらいまでの間に、(殆どの場合は)自分の親に人生のおよその筋書き(生き方としての「方向性」における筋書き)を与えられ、殆どの場合、その筋書きに従って、その後の人生を歩んで行く。

時として、この筋書きによって、歩む際に「歪」を生じることがあるが、

この「歪」を是正するにはどうしたらよいのか、このことを具体的に解決する方法の一つが、TAゲシュタルト療法による「再確認」である。 

療法の詳細については、今回は、敢えて省きたい。

今回は、むしろ、”その「再確認」によって、もたらされるところの、「自己実現」”ということについて、書きたいと思う。

もっと、言えば、「自己実現」ができるならば、どんなにかその人の人生が”輝いたものとなる”、ということについて書かせて頂きたいのである。

 わたくし自身、今(尚も途上ではあるかも知れないが、)「自己実現」に及んでいる。

今思うと、非常に不思議であるのであるが、自身が、フロイトの交流分析においての「禁止令」の一つであるところの、「男性らしくあるな」(女性では、女性らしくあるな)というところに、縛られていた(ことを覚える)。

今、その「禁止令」から、正に”「解放」されて”、「自己実現」に及んでいる。

が、逆に、そこから、「再確認」というところに遡ることもできる。

すなわち、自分の心の内には、「男らしくありたい」というのが、実はあって、(不思議と)”「抑制」されていた”ということだ。

ここで、不思議というのは、そういった「禁止令」というのは、自分の親から与えられる負のストロークによるのであるが、

親が、これを与えてしまうのは、往々にして、”望まない「性」”を、出産した場合であるからだ。

いずれにしても、その「禁止令」から、”「解放」されて”、「自己実現」しているオレにとって、

”「家族」を守る者”となりたいという「思い」は、極めて”自然な「欲求」”であるのかとも思う。

 子どもを深く愛し続ける「姿」に意地悪く(?)、「ドナーには、あそこまで書けないよ。」という「「輩」」」もいるが、

わたくしにしてみれば、、正に、実現中(実現している最中)の「自己実現」に伴って”大きく花開いた「父性」”がブログを書かせているわけだ。

        (追記)

本日も、毎火曜日の、主とのお約束の通り、「戸籍謄本」を引き出した。

バツ一つなく、皆わたくしの「家族」である。

また、今日は、”変な「情報」に”対策する意味で、住民票も引き出した。結果、異常なし。

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